西恒次郎
経歴
第七高等学校造士館を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学医科大学医学科を卒業、副手となって母校で研修し、その傍ら駒込病院に3年間勤務した。
1918年(大正7年)5月、新潟県吉田病院長として赴任した。
家族
- 妻 清子(医師佐々木半一の二女、坪井省の孫)
系譜
┏信蔵 ┏晋一郎━━┫ 恕庵━━恕庵━━柳庵━━昇蔵━┫ ┗順蔵 ┗恒次郎 ┣━━━━禄郎 佐々木半市━清子
脚注
- 元両分家御医師帳(県立博物館蔵)
- 森納著『続 因伯の医師たち』291頁
外部リンク
- とっとりデジタルコレクション--西恒次郎
- 製糸女工手に於ける心肺系数の研究 労研デジタルアーカイブ 『労働科学』 1941年 18巻 8号
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