西丸與一
生涯
1950年から神奈川県監察医の任にあたり[2]、数多くの事故、事件の検死解剖、鑑定にも携わった。その体験を書いた『法医学教室の午後』正(1982年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)・続(1984年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)は、1985年、1986年と日本テレビ系列でTVドラマになった。同シリーズの続編として『法医学教室との別れ』(1992年、朝日新聞社)がある。
1954年から1992年まで横浜市立大学医学部に勤務し、法医学を担当。3期、6年間同医学部長を務めた[2]。大学退官後、自ら横浜市に働きかけて横浜市総合保健医療センターの立ち上げに係わり、その施設長を1998年5月まで務めた。その後、日本クルーズ客船のクルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」の船医となった。2014年3月引退[3]。2014年12月より、神奈川新聞で「わが人生」[4]を連載。
2020年4月3日、死去[5]。93歳没。
略歴
主な経歴は以下のとおり[2]
監察医として係わった事件
受賞・栄誉
主な受賞等は以下のとおり[2]
著書
脚注
- 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.423
- “医療:法医学の向上と啓蒙:西丸與一”. 横浜市 (1997年). 2009年12月28日閲覧。 アーカイブ 1999年10月4日 - ウェイバックマシン
- “87歳の“名誉船医”が引退 人生はヨットに似て”. 神奈川新聞 (2014年). 2015年2月3日閲覧。
- 神奈川県に縁が深い著名人が自ら半生を振り返る連載。
- “西丸與一さんが死去 監察医や作家、船医として活躍 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞”. カナロコ. 2020年4月5日閲覧。
- “平成17年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 14 (2005年11月3日). 2006年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月22日閲覧。
外部リンク
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