藤沢海軍航空隊
概要
航空無線兵器整備教育を目的として、電波・光学兵器の整備員を養成する唯一の航空隊であった。
司令部は、グリーンハウス(神奈川県藤沢市、藤沢カントリー倶楽部のクラブハウス)に置いた。
レーダー搭載機そのものが少なく、実際に飛来して整備する必要があったのは、むしろ光学計器類であった。
教育期間は6か月間で、最初の2か月間は新兵教育期間とされ、約1万人が教育を受けた。
毎朝江の島往復のマラソンが行われた。
高等科以外は銃を担いで基地内を走るのが日課で、それが終わると、戦闘機電話(三式空一号無線電信機改三)の訓練が行われたが、教科書は兵士数分なく、授業のたびに配布・回収された。
沿革
司令
- 上田泰彦(前筑紫艦長):1944年(昭和19年)6月1日 - 1945年(昭和20年)8月25日
脚注
- 海軍辞令公報(部内限)第1492号
参考文献
- 椎谷和雄『藤沢海軍航空隊研究』、藤沢市史研究30、藤沢市文書館運営委員会編、1997年3月
- 「規律の中の青春」、甲飛藤空会編、文芸社、2000年2月、ISBN 978-4887379961
関連項目
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.