藤沢翔陵高等学校

藤沢翔陵高等学校(ふじさわしょうりょうこうとうがっこう)は、普通科商業科を持つ男子のみの私立高等学校。略称は「翔陵」、「藤翔(とうしょう)」。

藤沢翔陵高等学校
北緯35度21分41.5秒 東経139度28分27.4秒
過去の名称 藤沢商業学校
藤沢商業高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人藤嶺学園
校訓 信と勇と
設立年月日 1931年
共学・別学 男女別学(男子校)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
商業科
学期 3学期制
学校コード D114320500075
高校コード 14555G
所在地 251-0871
神奈川県藤沢市善行7-1-3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校

概要

創立1931年。設置者は時宗総本山清浄光寺が母体である藤嶺学園()で、藤嶺学園藤沢中学校・高等学校鵠沼高等学校とは兄弟校である。

藤沢商業学校からの伝統としてスポーツや資格取得が盛んである。各検定試験前になると頻繁に講習が開かれる。また、外部での講座を持つ教員も存在する。

沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[1]

  • 1931年昭和6年) - 藤沢商業学校として清浄光寺境内に創立。
  • 1943年(昭和18年) - 時局の要請で藤沢工業学校へ転換。
  • 1945年(昭和20年) - 藤沢商業学校を藤沢工業学校より分割復元。
  • 1947年(昭和22年) - 現在地に移転。
  • 1948年(昭和23年) - 新制度により藤沢商業高等学校(藤商、とうしょう)となる。藤沢工業学校は廃校。
  • 1970年(昭和45年) - 普通科開設。
  • 1992年平成4年) - 普通科に特進コース開設。
  • 1998年(平成10年) - 普通科の生徒数の方が多くなったことから、藤沢翔陵高等学校に校名変更。同時に校章も変更。
  • 2004年(平成16年) - 新総合グラウンド完成。
  • 2008年(平成20年) - 校舎外壁改装工事完了。
  • 2009年(平成20年) - 8月にテニスコート改修。12月には学校グラウンド改修。
  • 2011年(平成23年) - 創立80周年を迎えた。

部活動

  • 野球部が1973年に夏の甲子園に出場。1回戦、藤沢商5ー2萩商。2回戦、藤沢商0ー1盛岡三。近年の最高戦績は2015年秋季神奈川県大会ベスト4。
  • バレーボール部は「バレーの藤商」として全国的に有名であり、春高バレーで5回の優勝(1978年~1980年には史上初の三連覇達成)、インターハイ(現在の選手権)で2回の優勝、国体で2回の優勝をしている。「高校バレー三冠」は達成していない。
  • 陸上競技部は全国高校駅伝に33回出場(2015年現在)し、入賞3回(最高位は1986年の3位)。5000mの神奈川県高校記録は、1979年~2007年まで28年間、同校の部員が樹立・更新をし続けていた。(ただし、1999年9月に別の高校の選手が記録を更新し、同年12月にその更新した記録と同記録で藤沢翔陵の選手が走るまでの3ヶ月間は空白となる。しかし、厳密に言えば記録会の記録は申請の上で年末に承認され、「記録更新」の認定はその後となるため、履歴上は27年間保持し続けたことになる。)
  • テニス部は2001年と2004年の2回、全国選抜高等学校テニス大会で準優勝。
  • 簿記研究会は、過去20年連続で県代表である。

当校が舞台となっている作品

その他

  • 文化祭にはHOUND DOG西澤ヨシノリなど、著名人が招待されることがある。
  • 昭和30年代に校舎を焼失する火事に見舞われ、現在の県の競技場となっている所有地を売却することになった。不振期には当校を廃止し、藤嶺学園による短期大学を設立する計画があった。学長には福本和夫が招聘される予定であった。

交通

著名な出身者

プロ野球選手

バレーボール選手

陸上選手

その他

脚注及び参照

  1. 学校沿革・校歌|藤沢翔陵とは”. 藤沢翔陵高等学校. 2019年1月24日閲覧。

参考文献

  • 藤嶺学園藤沢商業高等学校編『藤嶺学園藤沢商業の歴史』上巻・下巻(藤嶺学園藤沢商業高等学校、1986年)

関連項目

外部リンク

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