蓮光院 (徳川家治側室)
蓮光院(れんこういん、元文2年11月15日(1737年12月6日) - 寛政3年3月8日(1791年4月10日))は、江戸幕府の10代将軍徳川家治の側室。徳川家基の生母。俗名は知保、智保。父は津田宇右衛門信成。養父は伊奈忠宥。
生涯
寛延2年(1749年)より大御所・徳川家重の御次として仕え、宝暦11年(1761年)に家治付の中臈となる。
宝暦12年(1762年)に長男・竹千代(後の家基)を出産するが、家治の正室・倫子女王に子がいなかったため、大奥の松島局の勧めもあり倫子の養子として育てられる。明和8年(1771年)に倫子が死去して以降は、お知保の方は御部屋様となり、家基と共に暮らしたが、その家基も安永8年(1779年)に18歳の若さで急死するという凶運に見舞われた。
寛政3年(1791年)3月8日、55歳で死去した。
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