菊池完

菊池 完(きくち かん、1977年5月3日 - )は、東京都西東京市出身のサッカーおよびフットサルの選手。ポジションはディフェンダー

菊池 完
名前
愛称 カン
カタカナ キクチ カン
ラテン文字 KIKUCHI Kan
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-05-03) 1977年5月3日(45歳)
出身地 東京都西東京市
身長 182cm[1]
体重 75kg[1]
選手情報
在籍チーム FCフエンテ東久留米
カフリンガ東久留米
ポジション DF[1]
背番号 3
利き足 右足
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

大学卒業後に下部リーグやフットサルで活躍し、30歳になって初めてJリーグのプロ選手になった、異色の経歴を持つサッカー選手である。

サッカーの強豪校で知られる都立久留米高校サッカー部でプレーした後[注 1]関東大学サッカーリーグ所属の亜細亜大学に進み、関東大学選抜にも選ばれた。しかし卒業後はJリーグ入りが叶わず、関東サッカーリーグに加盟する青梅FCに入団した。青梅FCには5シーズン所属し、2002年には関東リーグ優勝を果たしたが、関東代表として参加した全国地域リーグ決勝大会では1次リーグ敗退となり、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を逃した。また、この年には初めて国民体育大会の東京都選抜に選ばれた[注 2]

2004年に青梅FCが関東リーグ2部降格が決まるとチームを離れ、11人制(フルコート)のサッカーがオフシーズンに入る同年12月からは東京都フットサルリーグ1部のFC.VENGAに移籍し、2005年4月から11人制のチームであるFCフエンテ東久留米に入団した。フエンテは当時東京都社会人リーグ3部に所属するチームで、前年の青梅FCから数えて4ランク下、Jリーグのディビジョン1から数えると8部に当たるリーグだったが、ここでも実力を評価され、2006年9月には全国選抜フットサル選手権大会に東京都選抜の一員[2] として参加し、チームは準優勝となった。また、アマチュア選手であったため、東京都小平市にあるフットサル場、トライフットボールフィールドでフットサルスクールのコーチもしていた[3][注 3]

2006年10月、東京都3部リーグの第8ブロックでフエンテが優勝して翌年の2部昇格を決めた後、当時東海社会人リーグ1部のFC岐阜へ移籍し[4]、自身初のプロ契約を結んだ。岐阜は同リーグで優勝した後、全国地域リーグ決勝大会で2位、続くホンダロックとの入れ替え戦で2戦2勝し、JFL昇格を決めた。2007年には背番号を30から3に改め、JFLで16試合に出場、1得点を挙げた。特にJリーグ2部(J2)への参入条件の一つである「JFL4位以内」を目指し、厳しい試合が続いたリーグ戦終盤にセンターバックとして先発出場を続け、3位となったチームのJ2参入に貢献した。この活躍により岐阜との契約を更新し、高校卒業後12シーズンを要してのJリーグ入りを果たした[注 4]

2008年は開幕からベンチ入り出来ずにいたが、J2第10節の水戸戦でJリーグ初出場(90分フル出場)。第17節の甲府戦ではJリーグ初得点を記録した。以後、ほとんどのJ2リーグ戦に出場している。「オールドルーキー」となった菊池への注目も高まり、週刊サッカーマガジンでの特集記事でも取り上げられた[5]

2010年はインドネシア・スーパーリーガボンタンFCに移籍、2010年3月17日のホームデビュー戦では逆転ゴールを決めた。

2011年から東京都社会人リーグ1部への昇格を果たしたFCフエンテ東久留米に復帰。

所属クラブ

サッカー

フットサル

  • 2004年12月 - 2005年4月 FC.VENGA
  • 2011年- カフリンガ東久留米

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000青梅関東--
2001--
2002--
2003関東1部--
2004--
2005東久留米東京都3部--
2006--
2006岐阜30東海1部-
20073JFL161-20181
2008J2281-20301
2009350-20370
インドネシア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-10 (en) ボンタン20スーパーリーガ132-30162
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011東久留米3東京都1部--
2012-
通算日本J2 631-20671
日本JFL 161-20181
日本関東1部 -
日本東海1部 -
日本東京都1部 -
日本東京都3部 -
インドネシアスーパーリーガ 132-30162
総通算 79240852

脚注

注釈
  1. サッカー日本代表選手の中村憲剛は同部で菊池の3年後輩に当たる。
  2. 以後2003年、そしてFCフエンテ移籍後の2005年と2006年の計4度にわたって同選抜チームに選出されている。
  3. 現在でも同施設の公式サイトには「スクールコーチ」の中に菊池の名前を残し、「トライから初のJリーガー」として菊池を紹介し、菊池のブログでも同施設に関する記述が見られる。
  4. 2007年終了時点で、菊池と高校での同学年選手では明神智和藤本主税がJリーグでの300試合を達成していた。
出典

関連項目

外部リンク

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