荒川亨

荒川 亨(あらかわ とおる、1959年(昭和34年)2月1日 - 2009年(平成21年)10月23日)は、日本の実業家システムエンジニア株式会社ACCESS創業者。

あらかわ とおる
荒川 亨
生誕 (1959-02-01) 1959年2月1日
日本の旗 日本千葉県
死没2009年10月23日
国籍日本の旗 日本
出身校東京電機大学工学部
職業実業家
システムエンジニア
活動期間1984年 - 2009年
著名な実績株式会社ACCESS創業

経歴

1959年(昭和34年)2月1日千葉県に生まれる。東京電機大学工学部出身、小学校時代から電子工作が好きで、中学生の時にはラジオだ、アンプだ、といろいろなものを作り、その後はアマチュア無線を始めた。高校時代はアマチュア無線を中心にやっていたが、そのころにTI社論理回路ICが普及し始めた。100円も出せばICが買えて、論理回路が作れた。1979年(昭和54年)に19歳でマイコンプログラミングを行う事務所、個人事務所「荒川設計事務所」を設立[1]

日本発のオリジナルソフトウェアを作り、世界に広げようという思いで、1984年(昭和59年)に鎌田富久(当時は東京大学の大学院生)と共に、有限会社アクセス(現・株式会社ACCESS)を設立した。

2009年10月23日、膵臓がんのため死去。満50歳没[2]

人物・経営について

荒川は学生から普通の企業に勤めることなく、自分の会社を始めたので、企業を経験した社員から、「普通はこうです」と言われて、「普通はそうなのか、おかしいな」と思ったり、「でも普通の会社はこうです」、と言われるとすごく悩んだという。しょうがないので、何か変だなと思っても、何が変なのかが分からないので、言われた通りにやってみる。そうすると普通の企業のバックグランドと ACCESS社のバックグランドのここが違う、ということが分かる。そういう仮説と検証の連続だったと語っている[3]

荒川は技術者側の人間なので、経営については、試行錯誤でやってきた。技術の事を考えるのと同じで、全体を考えて、ここはこうならなければいけないとか、と考える。例えば、一人一人優秀で、やっていることは間違っていない。でも儲からない、とすればどこかが悪いはず、そんな感覚で考えていた。また、誰もやっていないことをやろうとすると間違いは必ず起こる。間違った事が悪いのではなくて、間違った事を是正しないことが悪いのだと捉えた。お客様からも色々なことを聞きながら少しずつ構築してきた。自らを変えることが出来ないといけないという考えを持っていた[4]

脚注

出典

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