茂怜羅オズ

茂怜羅 オズ(もれいら おず、1986年1月21日 - )は、リオデジャネイロ出身で日本に帰化したビーチサッカー選手、ビーチサッカー指導者。日本代表選手兼監督。ポジションはフィクソ

茂怜羅 オズ
名前
カタカナ モレイラ オズ
ラテン文字 MOREIRA Ozu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1986-01-21) 1986年1月21日(37歳)
出身地 コパカバーナ
身長 190cm
体重 90kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 東京ヴェルディBS
ポジション フィクソ
利き足 右足
ユース
ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ
2006 ドイツの旗 ウニオン・ブラジル
2007-2015 日本の旗 レキオス
2015 イランの旗 アンザリ
2015-2016 スペインの旗 バルセロナ
2016-2017 日本の旗 FUSION
2017- 日本の旗 東京ヴェルディ
代表歴2
2004-2005 ブラジルの旗 サンパウロ州選抜
2013-  日本 106 (113)
監督歴
2011-2012  日本(選手兼任コーチ)
2016-2017 日本の旗 FUSION(選手兼任監督)
2017- 日本の旗 東京ヴェルディ(選手兼任監督)
2020-  日本(選手兼任監督)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2021年11月9日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

FIFAビーチサッカーワールドカップでは最優秀選手を争う実力者で、2019年大会では実際に最優秀選手に輝いた[1][2]。また、世界最高のフィクソとも呼ばれ[3][4]、高い身長から繰り出される精確な長距離フリーキックも武器である[1][5][6]。また、2019年には日本代表史上初の100得点を記録した[6]

クラブ歴

1986年にオスマル・モレイラの名でリオデジャネイロコパカバーナに生まれた。6歳の時にコパカバーナのビーチでビーチサッカーを始め[3]、将来のブラジル代表を担う選手の一人として期待されていた[5]。10歳の時にはコパカバーナで行われたブラジル代表の試合の前座として彼の所属したスクールは5000人の観客の前で親善試合を行った[5]。また幼少期にはビーチサッカーと並行してサッカーも行っており、実際に14歳の時にはCRヴァスコ・ダ・ガマの下部組織に加入[7]、サッカークラブからのオファーも相次いでいたが[3]、スパイクを履いている自分に違和感を覚え16歳でビーチサッカーを選択した[7][3][5]

ブラジル代表に嘱望される人材であったものの、本人はブラジル代表には全く興味がなく、興味の方向は海外でプレーし新たな文化に接する事であった[6]。2006年に渡独、ウニオン・ブラジルに加入した[7]

2007年、21歳で沖縄県に本拠地を置くレキオスFCに加入[7]。日本については大した知識も持ち合わせていなかったものの、沖縄の人間の温かみや日本の便利さ、安全さに心を打たれた[7][5]。2009年にレキオスは東京に移転[7]。その後は同じくブラジル出身でビーチサッカー日本代表監督を務めていたラモス瑠偉と接し、日本へ帰化するために助力を受けた[7][6]。2012年12月12日に帰化[7][4][6]、すぐに日本代表にも招集されるようになった[7]

2015年にFCバルセロナに加入、ムンディリアート・ジ・クルーベスで優勝[7]、また同年に沖縄県にコパカバーナ・ビーチサッカースクールを設立した[8]。2016年にはFUSIONに籍を置きながら、イタリアのヴィアレッギオでプレーし、イタリアリーグ史上2人目の日本人選手となった他、ユーロウィナーズカップを制した[9][5]。その後もロシアのFCシティBSCロコモティフ・モスクワ、ポルトガルのスポルティングCP、イスラエルのクファル・カシームBSCでもプレーした。2017年にJリーグクラブでは初めてビーチサッカーに進出した東京ヴェルディBSに加入[10]。選手兼任監督を務めながら、さらにスポンサー営業も自ら行っている[11]。さらに2020年には日本のクラブとして初めてムンディリアート・ジ・クルーベスに進出させた[11]

代表歴

代表初の大会となったAFCビーチサッカー選手権2013では最優秀選手に輝き[1]2013 FIFAビーチサッカーワールドカップでは主将を務めてシルヴァーボールに輝いた[12]。2014年に始まったビーチサッカー・スターズでは初年度からベストファイブに選出され、以降も毎年のように選出されている[2]

AFCビーチサッカー選手権2015では得点王の一人に輝いた[1]

AFCビーチサッカー選手権2019では得点王兼最優秀選手賞に輝き、日本代表も史上初の優勝を果たした[13]。同年のワールドビーチゲームズウルグアイ代表戦で代表100得点目を記録[14]、翌月のビーチサッカーインターコンチネンタルカップで代表100試合出場を達成した[2]。2019 FIFAビーチサッカーワールドカップでは4位に輝き、これは2005年大会以来三度目の日本代表史上最高記録、自身はゴールデンボールに輝いた[15]

2020年7月に日本代表監督に就任、選手兼任監督となった[16]。監督として初めて臨んだ2021 FIFAビーチサッカーワールドカップでは準優勝し、日本代表史上最高記録となった。

参考文献

  1. Ozu Moreira: Asian game has more depth than ever. Asian Football Confederation. 9 March 2019.
  2. Japan Beach Soccer National Team's MOREIRA Ozu named as the Best Five of the World at the Beach Soccer Stars 2019. Japan Football Association. 16 November 2019.
  3. リオ生まれの日本代表キャプテン、ビーチサッカー・茂怜羅オズとは何者か”. Sportiva (2016年12月4日). 2021年11月9日閲覧。
  4. Ozu, um 'samurai' de Copacabana que sonha ser campeão mundial. SAPO. 8 July 2015. (in Portuguese).
  5. Ozu: “I want to take Japan to a World Cup title". Beach Soccer Worldwide. 10 December 2019.
  6. Ozu: I turned down Brazil because I fell in love with Japan. FIFA.com. 31 October 2019.
  7. 師はラモス瑠偉。W杯3回出場の 茂怜羅オズはなぜ日本を選んだのか”. Sportiva (2019年3月8日). 2021年11月9日閲覧。
  8. Ozu opens beach soccer school for children. Beach Soccer Worldwide. 8 April 2015.
  9. Ozu Moreira è un giocatore del Viareggio Beach Soccer.. Viareggio Beach Soccer. 15 April 2016.
  10. バルサで世界一になったサッカー選手。 茂怜羅オズは大志を抱く”. Sportiva (2019年3月20日). 2021年11月5日閲覧。
  11. 世界一になっても満足しない茂怜羅オズ。 ビーチサッカー日本代表 新監督に茂怜羅オズが就任!”. J SPORTS (2019年3月10日). 2021年11月9日閲覧。
  12. And the winners are…. FIFA.com. 29 September 2013.
  13. Outstanding Ozu claims MVP and top scorer awards. Asian Football Confederation. 17 March 2019.
  14. Swiss and UAE share 19 goals on day 1 in Qatar. Beach Soccer Worldwide. 11 October 2019.
  15. Russia comeback denies Japan bronze finish, Ozu wins Golden Ball. Asian Football Confederation. 2 December 2019.
  16. Ozu officially introduced as new Japan coach. FIFA. 23 July 2020. Retrieved 3 October 2020.

外部リンク

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