羽幌炭鉱
羽幌炭鉱(羽幌炭砿[1]、はぼろたんこう)は、北海道北西部留萌炭田の中心的炭鉱。1935年操業開始。羽幌坑(本坑)、上羽幌坑、築別坑の3地区から成っていた[1]。良質炭を産出することで知られ、大変人気があった。1970年(昭和45年)閉山[1]。
歴史
企業活動
実業団
会社としての羽幌炭鉱は、その業績もさることながら実業団活動に力を入れ、野球部、男女バレー部、スキー部ジャンプチームは国内トップクラスの実力を誇った。
スキー部
笠谷昌生などが活躍。また昌生の弟笠谷幸生も練習に帯同していた。
他に大内勝蔵(1963年全日本選抜スキー大会70メートル級準優勝)、大森享一、菅野弘二、菊地英一(1963年冬季国体青年の部飛躍5位、同年全日本スキー選手権60メートル級5位)、岸本光夫、竹内賢司、松井孝(1960年スコーバレーオリンピックスキージャンプ代表)佐藤義勝(第41回全日本スキー選手権50キロ優勝)といった選手が所属していた。
また、当時日本では大倉シャンツェに次ぐ規模を持ったジャンプ台も抱え、スキー部の練習はもちろん、大会も行われていた。また、町内にある高校スキー部に与えた影響も大きいことは見逃してはいけない。例えば羽幌高校の沢田久喜、羽幌太陽高校の吉岡世一などがいる。因みに、羽幌炭鉱の閉山に伴い、高校のスキー部は廃部になった。
野球部
都市対抗野球大会に1959年と1963年の2回出場、日本産業対抗野球大会に1962年から64年にかけて3回連続出場した。ドラフト指名選手も2名所属した。
男子バレー部
全日本バレーボール選抜男女リーグ1部に所属した。
女子バレー部
地域リーグで常に優勝を争っていた。
男子卓球部
日本卓球リーグ2部に所属していた。
脚注
外部リンク
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