経済制裁
経済制裁(けいざいせいさい、英語: economic sanctions)とは、経済の力をもって制裁を加える国家行為である。
ある国家の行った、不当もしくは違法な行為に対して、行政府や議会などが民間企業や大衆に呼びかける道義的ボイコットから、封鎖海域や港湾などを設定し、区域を航行・停泊する商船に臨検を行い、敵性国家に所属する貨物等を拿捕・没収するなど、さまざまな手段がある。また資産凍結など、金融制裁の手段がとられることがある[1]。
概要
経済制裁は、対象国に国外から入手していた物資を欠乏させることによって国内的な問題が生じることを狙った外交政策の一環である。一般的に、経済制裁を受けた国家は、経済成長が抑制されるために国力が低下する傾向がある。しかし、経済制裁は軍事的強制手段と比較すれば遅効性であり、また中立国など第三国と経済関係を持つことも可能であるため、
- 代替可能性が最小の商品を選んで規制すること。
- 第三国からの経済支援を阻止すること。
- 国内経済へのコストやマイナス要因に配慮すること。
- 逆に相手からも経済封鎖される危険性を考慮すること。
- 経済的に打撃を受け窮乏した相手国国民が悪感情を抱き、相手国をさらに敵対的・攻撃的にさせる危険性を考慮すること。
以上の5点に注意を要する。
これらの問題を解決するために、集団的な制裁を行う場合も各国の国益の相違や抜け駆けなどによって制裁が機能しない場合、また、関係国の内部で摩擦が起こる場合も考えられるため、マーガレット・ドクシーは「経済制裁は真の目標を見失ってしまいかねない鈍い手段であり、ブーメラン効果(自国経済への反動)すら生み出しかねない手段である」と述べた。
経済制裁は非軍事的強制手段のひとつであり、武力使用(交戦)による強制外交と同様に外交上の敵対行為と見なされる[2]。もっとも、どの水準をもって敵対行為と見なすかについては国際的合意が存在しているわけではなく、一般には道義的ボイコットの水準においては宣戦布告と見なされることはない。一方で封鎖海域の設定や臨検の実施、拿捕、金融資産の凍結、敵性船舶貨物等の再保険の制限や禁止、敵性資産の没収などは敵対行為とみなされる可能性があり、紛争当事国以外の国家による経済制裁への任意の協力は戦時国際法における中立国の権利義務に抵触する可能性がある[2]。
国際連合の主要機関である国際連合安全保障理事会の決議に基づく経済制裁においては、一定の期間、当該国家の輸出入を停止する。その他、主要貿易相手国によるものや主要物資に掛かるものなどがある。この際に行われる臨検は経済制裁の一環であり軍事行動(制裁戦争)としての性格を持つ。
日本国憲法第9条は戦争放棄を規定しているが、放棄されているのは侵略戦争であって、自衛戦争や制裁戦争は禁止されていないと解釈されており[3]、日本が独自に、あるいは国際連合の決議や同盟国の依頼に協力して経済制裁を実施することは、日本国憲法の規定には抵触しない。
歴史
紀元前432年のギリシャの政治家ペリクレスによるメガラ法令等私掠船以前から見られるものの、英蘭戦争や大陸封鎖令のころに確立された[2]。
20世紀以前は、国家の目標を実現する手段として比較的簡単に戦争が用いられ、戦争は外交交渉の一つとみなされていた(カール・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争論』など)。しかし、産業革命によって国家間貿易が盛んになると、経済制裁によって相手に打撃を与えるという手段が可能になる。
19世紀初頭、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス帝国(フランス第一帝政)はヨーロッパ大陸の大部分を征服した。しかし、イギリスはナポレオンに屈せず、トラファルガー海戦(1805年)でフランス海軍を破ったことにより大陸軍の侵攻を阻んだ。そこでナポレオンはイギリス商品を大陸から締め出し、またフランスとその同盟国がイギリスへ食料品を輸出することを禁止した(大陸封鎖令)。この大陸封鎖令はイギリスだけでなく、大陸諸国を苦しめ、1812年ロシア戦役や同盟国の離反、ナポレオンの没落へと繋がっていく。
19世紀には経済自由主義の原則が浸透し、たとえ交戦国同士でも通商・貿易を規制することは憚られるようになった。ハーグ会議(1899年・1907年)では戦時においても一般市民の財産を保護されるべきことが合意された。ロンドン宣言では戦争に関わらない貨物物資の捕獲が禁止された。
しかし、列強同士の総力戦となった第一次世界大戦ではそのような原則は通用しなかった。連合国のイギリスが同盟国のドイツ帝国に対して海上封鎖を実施する。イギリス海軍はスコットランド-ノルウェー間(北海)の約300海里とドーヴァー海峡の約20海里を封鎖し、対独封鎖線を突破しようとするドイツ艦船を撃沈していった。これによってドイツは戦線の膠着もあって経済的な苦境に陥り、1918年の敗戦とドイツ革命に繋がる。
国際連盟
第一次世界大戦後、厭戦気分と平和への渇望が広がり、世界平和が強く求められるようになった。それを受けて各国は国際連盟を創設し、戦争を抑止しようとした。国際連盟では紛争を解決する手段としての戦争が連盟国相互において原則として否定され、一方的な軍事行動に対しては経済制裁を中心にして圧力をかけることが定められた。
1934年、ファシスト党のムッソリーニ率いるイタリア王国がエチオピア帝国に侵攻した(第二次エチオピア戦争)。国際連盟はイタリアに対して経済制裁を開始した。これは国際連盟規約第16条が史上唯一適用された事例であった[4]。しかし、イギリスとフランスの対応が誠意を欠いたものであったため、制裁は効果を出すことなく失敗に終わった[注 1]。この失敗は、国際連盟の威信を傷つけ、経済制裁の評価を落としてしまう。
戦後
第二次世界大戦後、連合国は再び世界が戦禍に見舞われることがないために国際連合(国連)を結成した。国際連合は国際連盟と同じく経済制裁を制裁として制度化したが、国際連盟の場合と異なり武力制裁も制度化し、経済制裁と武力制裁を組み合わせた圧力で集団安全保障を機能させようとした。
国連が経済制裁を発動させるためには、安全保障理事会(安保理)の3分の2以上の賛成かつ常任理事国の反対(拒否権発動)がない必要があり、冷戦期は常任理事国が資本主義陣営と社会主義陣営に分かれて対立したため、制裁が実現しないことが多かった。
国連の経済制裁が機能しなかった代わりに、東西陣営・地域機構ごとの制裁がしばしば行われた。コミンフォルムの対ユーゴスラビア制裁や米州機構による対キューバ制裁などが挙げられる。第4次中東戦争の時には、アラブ石油輸出国機構が親イスラエル国家(日米欧など)に対して石油の輸出制限を行い、オイルショックが発生した。
冷戦終結後は、安保理が以前と比較して機能するようになったため、経済制裁が実現しやすくなっている。
過去の事例
第一次世界大戦から第二次世界大戦まで
- イタリア王国 - 第二次エチオピア戦争に対する国際連盟による制裁決議(1935年10月7日)
国際連合
現在経済制裁を受けている国
国際連合による制裁
- 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) - 核兵器・弾道ミサイルの開発とその保有に対する2006年の国際連合安全保障理事会決議1718の採択により経済制裁を受けている。また日本が独自に行う特定船舶入港禁止法と外為法を利用した経済制裁も受けている。(詳細は朝鮮民主主義人民共和国に対する制裁を参照のこと。)
個別国家・地域的国際機構による制裁
- アメリカ合衆国・ 欧州連合などによる制裁
- キューバ - キューバ革命後の米国企業の国営化を理由に、1962年からアメリカによる経済制裁を受ける[7]。この制裁は現在も解除されていない。
- ジンバブエ - 土地改革や不正選挙を理由に、2002年からEU、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、北欧諸国による制裁を受ける[8]。
- ベラルーシ - ルカシェンコ大統領による強権的な政治を理由に、EU、アメリカ等による制裁を受ける[9]。2022年、ウクライナに侵攻するロシアへの協力で制裁。
- ロシア - 2014年のクリミア併合以降、アメリカ、EU等から制裁を受けている。さらに2022年のウクライナ侵攻により大規模な制裁を受けている。
- 中国 - 2019年-2020年香港民主化デモに関連した中国本土の香港に対する政治的関与や、中国政府のウイグル族に対する人権侵害等を理由に、アメリカから制裁を受けている。
民間企業や市民社会組織による「制裁」
古くは国際消費者運動が特定企業に対する国際ボイコットを行ってきた[10]。こうした運動は、冷戦後、国際規範の拡大と浸透に伴い、人種差別、人権侵害、戦争犯罪を犯した国家・政府を対象とするようになった。西側諸国や国連等の制裁に連動した官民一体となった制裁が見られるようになり、総称して「民」の制裁と呼ばれる[11]。1995年にフランスの地下核実験に対して日本をはじめ各国でフランス政府への抗議に留まらず、フランス製品(ワイン、ベッドなど)の不買運動が起きたことはその最たる例である。ただし同年に核実験を行った中国に対する運動はほとんど盛り上がらず、一貫性のなさが批判された[11]。
21世紀に入り中国では、官の誘導により「民」が主体となって外国政府・企業に対して制裁的行為を行うことがある。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件では、レアアースの対日輸出を停止したのは企業の判断という建前になっている。2012年の尖閣諸島国有化に際しての在中国の日本企業に対する暴動も、民の制裁として位置づけられる[11]。
2022年のロシアのウクライナ侵攻に際して、政府とは別に西側企業や団体は、ロシアからの資本の撤退、取引停止などを行い、ロシア社会に大きな影響をもたらした。
「民」の制裁は、国家や国際機構による制裁に比べて、国際世論形成に一定の力をもつものの、一貫性や通時性が少なく、熱しやすく冷めやすいという欠点がある[12]。「村八分」的な過剰な同調圧力が発生し、2022年のウクライナ侵攻時にはロシア人に対する宿泊拒否宣言(後に撤回)などがみられ[13]、違法な行為あるいは非人道的行為につながる可能性も指摘される。
効果
経済制裁は対象国の経済情勢によって効果が変わってくる。一般的に効果の代償を左右する要素として下のようなものが挙げられる[14]。
- 貿易依存度
- 貿易依存度が高い国ほど経済制裁による打撃が多い。
- 経済規模
- 対象国の国民所得が小さい国ほど経済制裁による打撃が多い。
- 貿易相手国
- 対象国が多くの国と貿易をしている場合、経済制裁に対抗しやすくなる。
- 貿易代替
- 対象国が他の貿易相手国を簡単に見つけられる場合は制裁の効果が薄まる。1954年、ソビエトがオーストラリアからの羊毛を輸入禁止にしたがほとんど効果はなかった。
- 外貨準備
- 外貨準備の蓄えが多ければ、輸入が止められない限り時間稼ぎをすることができる。
- 経済制裁の監視
- 経済制裁の実施に関して監視が十分な場合は効果が高まる。
- 経済体制
- 国家貿易国などでは経済制裁の負担は国民には直接及ばず、経済制裁に耐えやすい。民主主義国でなければ言論統制などによって世論を抑え込むこともできる。
一方で経済制裁を阻害する要因もある。経済制裁の対象となっている国は立場が弱いため、悪い条件でも貿易相手を欲しがる傾向がある。第三国にとっては良い条件で制裁対象国と貿易をするチャンスでもあり、経済制裁に参加しないことで大きな利益を上げることができる場合がある。また、国際政治的に孤立し友好国を探していることが多いので、同じく孤立している国同士などで友好関係を築き協力し合うことがある。また、経済制裁を行う国も貿易相手国が減るのには変わりなく経済的打撃を受けることがあり、特に経済大国に対して制裁を行うのは消極的になりやすい。
1930年代には経済制裁の結果、イタリアや日本を追い詰め日独伊三国同盟を締結させた例もある。経済制裁が期待した効果を生み出すとは限らない。
技術革新
経済制裁は、制裁された国家に物資や資金の不足をもたらす。それは資金・物資の不足を克服するために、代替品の発明を促すこともある。
第一次世界大戦時のドイツは、イギリスに海上封鎖されたため、 硝石(チリ硝石)が輸入できなくなった。硝石の不足によって爆弾(火薬)の製造に不可欠な硝酸が手に入らなくなる。そこで化学者フリッツ・ハーバーが窒素からアンモニアを作る方法を発明する(ハーバー・ボッシュ法)。これによってドイツは火薬だけでなく肥料も作れるようになり、戦後ハーバーはノーベル化学賞を受賞、ハーバー・ボッシュ法は、農業生産に欠かせない存在となる。
その他にも、第一次大戦中にドイツは、石炭から石油・合成ゴムを作る技術を発明した。
ファンタは、第二次世界大戦時にコカ・コーラ原液の輸入が不可能になった、ドイツのコカコーラ現地法人によって作られた代替品を起源とする。
人道的問題
経済制裁は敵対国家の国民や経済を疲弊させることで対象国の混乱を狙ったものではあるが、食料品や医薬品などの禁輸に至った場合、餓死者・病死者を生むことによって人道上の問題が発生しうる。そのため生活必需品の禁輸に関しては慎重に行うべきという意見もある。具体的な対応として湾岸戦争時の石油食料交換プログラムのように制裁と別に人道的面から制裁品の一部輸出入を認めるプログラムを実施したケースが有る。
経済制裁の対象を権力者や軍事的産業・軍用に転用できる品に限定することで人道的な問題を回避する「スマートサンクション」と言った考え方もある[15]。
一方で人道的配慮から支援された食料品・医薬品が政府によって横流しされて資金化・軍備化され経済制裁の抜け穴にされる懸念もある。また制裁対象を一部の権力者のみに限定した制裁では実効的効果は持たず、心理的な効果しか与えないという厳しい意見もある[16]。
第三国への影響
安全保障理事会による経済制裁によって、制裁を受けた国家と関係が深い制裁対象国ではない第三国が、経済的な影響を受けてしまう可能性がある。
これらは、国際連合憲章第7章第50条「経済的困難についての協議」において規定されており、第三国は安全保障理事会において協議する権利を有する。
参考文献
- 高橋文雄「経済封鎖から見た太平洋戦争開戦の経緯--経済制裁との相違を中心にして」『戦史研究年報』第14号、防衛省防衛研究所、2011年3月、27-56頁、NAID 40018877832。
- 宮川眞喜雄『経済制裁』(中公新書)
- 深津栄一『国際法秩序と経済制裁』(北樹出版)
- 山本武彦『経済制裁』(日経新書)
- 池田美智子『対日経済封鎖』(日本経済新聞社)
- 臼井実稲子・奥迫元・山本武彦編『経済制裁の研究』志學社、2017年
脚注
注釈
出典
- Haidar, J.I., 2015."Sanctions and Exports Deflection: Evidence from Iran," Paris School of Economics, University of Paris 1 Pantheon Sorbonne, Mimeo
- 高橋文雄 2011.
- 「「憲法第9条について〜自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」に関する基礎的資料」衆議院憲法調査会事務局、平成15年6月 P.12(PDF-P.16)
- 田岡良一「連盟規約第16条の歴史と国際連合の将来」『法理学及び国際法論集(恒藤博士還暦記念)』(1949年、有斐閣)、336-337頁
- 外務省: 『日本外交文書 日中戦争』(全4冊)
- 大阪朝日新聞1938.11.3
- キューバ基礎データ(外務省)。
- ジンバブエ基礎データ(日本国外務省)。
- ベラルーシ基礎データ(日本国外務省)。
- 『国際消費者運動』境井孝行、大学教育出版、2002年。ISBN 4-88730-471-4。OCLC 674925848 。
- Keizai seisai no kenkyū : keizai seisai no seiji keizaigakuteki ichizuke. mineko Usui, hajime Okusako, takehiko Yamamoto, 臼井 実稲子, 奥迫 元, 山本 武彦. Tōkyō: Shigakusha. (2017.3). ISBN 978-4-904180-71-6. OCLC 982478717
- 臼井実稲子・奥迫元・山本武彦 編『経済制裁の研究』志學社、2017。
- “ロシア人の宿泊拒否をHPに記載 滋賀の旅館、指導受け削除(共同通信)”. Yahoo!ニュース. 2022年8月19日閲覧。
- 宮川84 – 88ページ
- 国際連合広報センター
- 2008年度第1回国連研究プロジェクト研究会 | 国連(2010 東京財団