福永泰子
福永 泰子(ふくなが やすこ、1918年(大正7年) - 2006年(平成18年)9月11日)は、日本の華族。皇后女官。嵯峨実勝侯爵令嬢。夫は関西大学教授・福永健治。母は9代浜口吉右衛門の長女・尚子(ひさこ)。
略歴
関西の大実業家で宮家との縁も深い福永家に嫁ぐが、わずか1年8ヶ月で夫に先立たれる[1]。
1968年(昭和43年)5月、泰子の勧めにより、溥傑・浩の次女で姪である嫮生と、亡き夫の姉の次男である健治が結婚した[2]。
徳川義寛の勧めで宮中に入り、1971年(昭和46年)から1989年(平成元年)にかけて宮内庁侍従職で女官を務め、その後2000年(平成12年)まで香淳皇后に仕えた[3]。83歳で退職[4]。
2006年9月、88歳で死去。葬儀は神戸市須磨区で健治が経営する高齢者福祉施設である自宅で行われた。葬儀の喪主は嫮生が務めた[5]。
脚注
参考文献
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.