福島城 (陸奥国鼻和郡)
福島城(ふくしまじょう)は、青森県五所川原市相内にあった日本の城である。平城。
(青森県) | |
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復元された櫓門 | |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 10世紀後半 |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 不明 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 郭・堀・土塁・門跡 |
指定文化財 | なし |
再建造物 | 門 |
位置 | 北緯41度2分40秒 東経140度22分0秒 |
地図 |
福島城 |
概要
十三湖の北岸に面する標高約20メートルの台地上にある。面積は約62万5000平方メートルである。外郭とその中にある内郭で構成される。外郭は一辺が約1キロメートルの三角形をしており、土塁と外堀が残っている。内郭は一辺が約180メートルの四角形をしており、土塁と外堀・内堀で外郭から区切られている。外郭の東側および内郭の東側に門があった。
歴史
平安時代後期の10世紀後半に築かれたとみられる。10世紀後半から11世紀までの土師器が城域から出土するが、これは北緯40度以北の東北地方北部が中央政権の影響下から離れて北海道で9世紀に始まった擦文文化圏に合流していた時期にあたる。同時代に東北地方北部から北海道渡島半島南部にかけて住居群を堀で囲む防御性集落が盛んに造られていることから、福島城は擦文文化人が何らかの軍事上の情勢に対応して築いた城であると考えられる。
内郭は室町時代前期の14世紀後半から15世紀前半に築かれた可能性が高い。福島城から南西3キロメートルの位置にある十三湊が最も栄えた時期にあたる。
「十三湊新城記[1]」に記された、安倍(安藤)貞季が正和年間(1312年-1317年)に築いたとする新城を福島城にあてる見解がある。ただし、2005年(平成17年)から2009年(平成19年)に行われた青森県の発掘調査で当城跡の内郭南東部より中世の武家屋敷が発見されており、安藤(安東)氏の居城であった可能性が高まっている[2]。
脚注
- 東北大学附属図書館 秋田家史料データベース 十三湊新城記 ※偽書説がある。
- 中世・十三湊 <五所川原市>(奥津軽の旅案内)
外部リンク
- 五所川原観光情報局 史跡を訪ねる (五所川原市観光協会)
- あおもりの文化財(青森県教育委員会文化財保護課)
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