神戸川崎財閥
神戸川崎財閥(こうべかわさきざいばつ)は、男爵川崎正蔵によって設立された兵庫の財閥で15大財閥の1つ。単に「川崎財閥」と呼ばれることもあるが、同じく「川崎財閥」と呼ばれる東京川崎財閥とは無関係。創業者の名前から「川崎正蔵財閥」とも、また正蔵は松方幸次郎を川崎造船所の社長に就任させて後継者にしたため「松方コンツェルン」とも呼ばれる。
概要
1878年に、松方正義等の援助のもと川崎築地造船所を設立、十五銀行を主力行として、昭和初期までに経営の基盤を固めた。しかし、後継者の財閥経営の失敗から部下の離反を招き、川崎汽船、川崎重工業等の有力企業が独立して昭和恐慌の際に財閥としての実態を失った。財閥解体においては川崎重工業が集中排除の対象となり、川崎製鉄(現在のJFEスチール)が分離した。
なお、戦前の川崎財閥は1927年の金融恐慌で衰退するが、その中心企業であった川崎造船所は独自の重工業企業として再生し、1938年に名称を変更して川崎重工業となり、また川崎造船所の系列会社として設立された川崎汽船、川崎重工業の製鉄部門が分離独立した川崎製鉄がそれぞれ系列会社を従えてグループを作った。
川崎重工業グループ
三菱重工業とともに日本の総合重工業の双璧である川崎重工業を中心に、川崎商事(後の川鉄商事(現・JFE商事))をはじめ10社の系列会社が川重グループを形成し、これらの系列会社はすべて、川崎重工業が全株を所有するか、首位株主となった。
脚注
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