神原村 (長野県)
神原村(かみはらむら)は、長野県下伊那郡にあった村。現在の天龍村大字神原にあたる。
かみはらむら 神原村 | |
---|---|
廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 神原村、平岡村 → 天龍村 |
現在の自治体 | 天龍村 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、甲信越地方、信越地方 |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 下伊那郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 58.71 km2. |
総人口 |
1,946人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
長野県下伊那郡平岡村、大下条村、和合村、旦開村 静岡県磐田郡水窪町 愛知県北設楽郡富山村、豊根村 |
神原村役場 | |
所在地 | 長野県下伊那郡神原村 |
座標 | 北緯35度14分44秒 東経137度47分16秒 |
ウィキプロジェクト |
地理
- 山:八嶽山、天ヶ森
- 河川:天竜川
歴史
おじろく・おばさ
旧天龍村地域のみに「おじろく、おばさ制度」と呼ばれる特殊な家族制度があった。16〜17世紀頃には存在したという。
この制度の下では、長兄のみが社会生活を営み、それ以下の弟妹はおじろく(男)・おばさ(女)として村社会から隔離され、家庭内の労働力としてのみ人生を送る。中流以上の家庭に多かったという。
彼らは結婚・交際をせず、村祭りなどの行事にも参加しなかった。声をかければ会釈くらいはするが、基本的に無気力で人嫌い。家庭内での地位は下男・下女扱いであったが、幼少期から特別虐待されるわけでもなく、むしろ労働力として重宝がられていた。
彼らの性格が分裂病(今で言う統合失調症)に似た症状であるとして面接を行った精神科医の近藤廉治は、「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている[1]。
脚注
- 近藤廉治『開放病棟―精神科医の苦闘』合同出版、1975年。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.