礼文華峠
礼文華峠(れぶんげとうげ)は、北海道山越郡長万部町と虻田郡豊浦町の境にある峠。
礼文華峠 | |
---|---|
所在地 | 北海道山越郡長万部町・虻田郡豊浦町 |
座標 |
|
標高 | 293 m |
通過路 |
国道37号(国道230号との重用区間) 室蘭本線 |
プロジェクト 地形 |
概要
礼文華とは豊浦側の地名であり、アイヌ語で「レブンケップ」(repun-ke-p、沖へ流れ出るところ)の意味である[1]。
礼文華トンネル(全長1,331m)で通過するため峠らしさはないが、かつては猿留山道、雷電山道とともに旧道(礼文華山道)が「蝦夷地の3大難所」の1つとされていた[1]。なお、長万部町静狩 - 洞爺湖町清水間で特殊車両の通行制限を行っており、区間内には「高さ制限門型柱」を設置しているトンネルもある[2]。
歴史
1799年(寛政11年)・1800年(寛政12年)に箱館と道東を結ぶ連絡路として開削工事が行われたが、いずれも難工事で未完成に終わっていた[1]。1807年(文化3年)にやっと人や馬が通れる程度の道が完成した[1]。1894年(明治27年)に改修工事が完了[1]。準地方費道長万部停車場室蘭線として開削され、1932年(昭和7年)に地方費道函館室蘭線となり、1952年(昭和27年)の道路法公布によって一般国道37号となった[1]。昭和30年代に峠付近の全面的なルート切り替えとなる改良工事が行われ、1966年(昭和41年)の新ルート開通でトンネル通過できるようになり通行が大幅に改善された[1]。その後、トンネルの老朽化・狭あい化に伴い新しい礼文華トンネルを建設して1998年(平成10年)に供用開始された[1]。
鉄道路線としては峠越えのトンネル掘削の難工事と社会情勢もあり幾度も遅延したが、1928年(昭和3年)に静狩 – 伊達紋別間が開通し長輪線(現・室蘭本線)となった[3][4]。峠部は礼文華山トンネルが貫通している。
1967年(昭和42年)海側に新礼文華山トンネルが開通し複線化した。
周辺
- 豊浦町森林公園[5]
脚注
- “江戸期に開かれた礼文華越えの道” (PDF). 北の交差点 Vol.5 SPRING-SUMMER 1999. 北海道道路管理技術センター. 2014年12月30日閲覧。
- “一般国道37号の静狩トンネル付近など4箇所に「高さ制限門型柱」を設置します 〜高さ3.90mを超える等の特殊車両は通行できません〜” (PDF). 室蘭開発建設部. 2014年12月30日閲覧。
- “長輪線開通”. 函館市史. 函館市中央図書館. 2014年12月30日閲覧。
- “特集 室蘭 鉄道120年の軌跡” (PDF). 広報むろらん. 室蘭市 (2012年5月). 2014年12月30日閲覧。
- “豊浦町森林公園”. 北海道豊浦町観光情報サイト とようら観光ナビ. 豊浦観光ネットワーク. 2014年12月30日閲覧。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.