磯長谷古墳群
概要
磯長谷古墳群は宮内庁から治定されている天皇陵4基(敏達天皇陵・用明天皇陵・推古天皇陵・孝徳天皇陵)と、聖徳太子墓など約30基からなる古墳群である。これらは、前方後円墳の造営が終了した後の6世紀中ごろから7世紀前半にかけての古墳時代末期から飛鳥時代初期のものと見られる。(ただし、敏達天皇陵は磯長谷では唯一の前方後円墳である。)
天皇陵4基と聖徳太子廟の5つの古墳は、梅の花びらになぞらえて「梅鉢御陵」(うめばちごりょう)と総称される。なお、この地一帯は二上山山麓の斜面が幅広い谷地形を作っており、磯長谷と呼ばれている。さらに皇族の陵墓が集中していることから、「王陵の谷」とも呼ばれる。
備考
磯長谷には「奥城古墳」とよばれる名称の古墳があるが、太子西山古墳(敏達天皇陵)の別名(参考:太子町ウェブサイト)とも聖徳太子廟の名称としている文献もある。
参考文献
- 河内飛鳥を訪ねてみよう(石部政志 編著、松籟社 ISBN 4-87984-101-3)
関連項目
外部リンク
- 磯長谷古墳群(近つ飛鳥博物館ウェブサイト)
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