砂場 (蕎麦屋)
歴史
名称の由来は、大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」によるものとされる[1]。
砂場(大坂)の正確な創立年代はわかっておらず諸説ある。
最も古い説では大坂城築城開始の翌年の1584年に「津国屋」が創業としているが、この説については食文化史から疑問が提示されている。1757年に出版された『大坂新町細見之図澪標』の中に、「津国屋」と「和泉屋」という2軒の麺店が見られる。和泉屋については、1730年に出版された別文献にも、店頭風景が掲載されており、遅くともこの年までに成立している。この2軒について、場所名で呼ぶことが定着し、「す奈バ」(砂場)の屋号が生まれたものと考えられている。
1799年の『摂津名所図会』の大坂部四下の巻新町傾城郭の項には「砂場いづみや」の図があり、そば切りとうどんの両方を提供しているように見える[2]。
現在の砂場
かつて存在した店舗
砂場会
江戸時代からの砂場の系列店は、1933年に砂場長栄会を結成した。その後、神田多町系の砂場の系列店が大量に砂場長栄会に入会し、1955年には砂場会となった。また、1956年には商標登録を行っている。
脚注
- “『大阪・上方の蕎麦』江戸そばの源流”. 勢見恭造. 2003年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月24日閲覧。
- “『大阪・上方の蕎麦』大阪の蕎麦”. 勢見恭造. 2003年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月24日閲覧。
- “西馬音内そば”. (公式)羽後町観光物産協会. 2022年7月7日閲覧。
- 萩原長昭. “そばってのは粋に食うものですよ”. フード・ラボ. 2016年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月19日閲覧。
参考文献
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