直坂遺跡
概要
神通川が飛騨山中から富山平野に抜ける、ちょうど山間部と平野部の境界に形成された上位段丘右岸に所在する[2]。1972年(昭和47年)、富山県教育委員会が発掘したところ、旧石器時代および縄文時代草創期・早期・中期にわたる各時期の遺物・遺構が出土した[2]。
遺跡東南部の緩斜面に旧石器時代および縄文時代草創期・早期の中心部がある。旧石器時代の遺物は、ローム層中に少なくとも2層の遺物包含層から層位的に発見されている[2]。とくに上位の文化層は多数の石刃をはじめナイフ形石器、彫器、局部磨製石斧などを出土し、石器組成がよく示されている[2]。
縄文時代草創期は断片的な資料であるが、早期については、楕円文を主体とする押形文土器が豊富に発見されている[2]。
縄文時代中期については、遺跡西北部の平坦面に中心をおき、西縁辺部を北から南に入りこんだ小谷に沿って竪穴建物が設けられている。平坦部中央は、遺構のない空間地となっており、典型的な縄文時代の集落構造を示している[2]。
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