皇子山古墳群
概要
滋賀県南部、琵琶湖西岸の「皇子山」と称される独立丘陵(標高164メートル)に築造された古墳群である[1]。前方後方墳1基(1号墳)・円墳1基(2号墳)の計2基から構成されるが、これら前期古墳とは別に、一帯では後期古墳の営造もあったと推測される[2]。これまで1964・1970年(昭和39・45年)に発掘調査が実施されたほか、現在は公園として整備・公開されている[2]。
2基の古墳域は、1974年(昭和49年)に「皇子山古墳」の名称で国の史跡に指定された[3]。なお古墳群の東南では、後世に近江大津宮(錦織遺跡)が営まれている。
一覧
1号墳
皇子山1号墳 | |
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墳丘 (右に後方部、左に前方部。葺石は復元) | |
所在地 | 滋賀県大津市錦織1丁目 |
位置 | 北緯35度1分42.78秒 東経135度51分2.43秒 |
形状 | 前方後方墳 |
規模 | 墳丘長60m |
埋葬施設 |
後方部:不明4基 前方部:粘土槨(推定)1基 |
築造時期 | 4世紀後半 |
皇子山1号墳は、丘陵の最高所に位置する皇子山古墳群の主墳。形状は前方後方墳。
墳丘主軸を南北方向とし、前方部を南方に向ける。墳丘外表では葺石が認められる(現在見る葺石は復元)[4]。墳形は東側(琵琶湖側)が極端に開き、葺石も東側面の方が西側面より丁寧に葺かれることから、湖からの仰望を意識した造りとされる[4]。埋葬施設は、後方部に4基、前方部に1基(粘土槨か)が認められるが、未調査のため詳らかでない[2][4]。
この皇子山1号墳は、古墳時代前期の4世紀後半頃の築造と推定される[2][4][5]。滋賀県域の古墳としては、類例の少ない前方後方墳である点[2]、早い時期の築造の点で注目される古墳になる[5]。被葬者は明らかでないが、和邇氏との関連を指摘する説がある[2]。
1号墳の規模は次の通り[1]。
- 墳丘長:約60メートル
- 後方部幅:約35メートル
- 前方部幅:約28メートル
- 後方部墳頂
手前の区画は後方部埋葬施設。背景は琵琶湖。 - 前方部から後方部を望む
手前の区画は前方部埋葬施設。 - 後方部から前方部を望む
文化財
国の史跡
- 皇子山古墳 - 1974年(昭和49年)12月16日指定。
脚注
- 皇子山古墳(国指定史跡).
- 皇子山古墳群(平凡社) 1991.
- 皇子山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 皇子山1号墳 史跡説明板。
- 皇子山古墳群(大津市歴史博物館)。
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
関連項目
外部リンク
- 皇子山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 皇子山古墳 -琵琶湖を望む王の墓- - 公益財団法人滋賀県文化財保護協会「新近江名所圖会」
- 皇子山古墳群 - 大津市歴史博物館
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