甲府銀座ビル
甲府銀座ビル(こうふぎんざビル)はかつて山梨県甲府市に存在した建築物(ビルディング)である。
甲府銀座ビル Kofu Ginza Building | |
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒400-0032 山梨県甲府市中央1丁目5-56 |
開業日 | 1974年 |
閉業日 | 2009年2月14日 |
建物名称 | 甲府銀座ビル |
中核店舗 |
オギノかすがもーる店 こうふアルジャン (いずれも閉館時) |
前身 |
甲府電気館 (1945年12月29日 - 1973年)[注 1] |
後身 | デュオヒルズ甲府 |
最寄駅 | 甲府駅 |
最寄バス停 | 山梨交通・富士急バス「常盤通り」停留所 |
概要
ダイエー・トポス時代
1970年代の甲府中央商店街付近には岡島百貨店やスーパーマーケットチェーンであるオギノ本店など複数の核店舗をはじめいくつもの商店街が入り組んでいる状態であったが、核店舗はいずれも県内資本の地域密着型であったため、全国チェーンの大規模資本が参入を目論むようになる。中央商店街は核店舗と結託して県外資本の参入を阻止しようとするが、中央商店街の中で外れにある銀座通りの商店街は甲府駅前に県外資本の店舗が進出することに危惧し、それならばと当時事業を拡大していたダイエーをあえて中央商店街に誘致する決断を取った。そして東映系の映画館「電気館」[注 1]跡地に地上8階建、地下1階建のビルを建設し、1974年(昭和49年)に中心部初となる県外資本の核店舗ダイエー甲府店(愛称:甲府ショッパーズプラザ)が開業した。
ダイエー甲府店の影響は大きく、経営難が囁かれていた丸の内地区にある中込百貨店の経営破綻を決定付けただけでなく、中央商店街の歩行量を大幅に押し上げる結果となった。結果としてダイエー甲府店の進出は甲府中央商店街にとってもプラスに働いたが、中込百貨店跡に甲府西武が進出したのをはじめ、岡島百貨店や甲府駅前の山交百貨店が増床・改築を実施するなどしたため、ダイエーも総合スーパー「トポス」への業態転換を行ない、1989年(平成元年)9月9日[注 2]にトポス甲府店に改称した。
しかしこの頃からモータリゼーションの影響による郊外化が進み、駐車場の確保が困難な状態である中心部の商業施設は軒並み低迷。トポス甲府店も例外ではなく、売上げが落ち込んでしまう。また親会社のダイエーも平成不況や阪神・淡路大震災の影響から経営危機に陥り、不採算店の整理を開始する。そして1998年(平成10年)に甲府西武が閉店するとさらに客足が遠のき、翌1999年(平成11年)11月14日[注 2]、甲府店も不採算店の対象になり、閉店した。
オギノ・甲府市施設時代
ダイエー撤退により甲府銀座ビルは数年にわたり空き店舗となったため、空洞化を懸念した甲府商工会議所はオギノの会長でもある荻野会議所会頭に出店を要請し、荻野会頭もこれを了承し、2003年(平成15年)に同ビルの1・2階にオギノかすがもーる店を開業した。またこれと同時に甲府市役所の施設も入居することになり、4・5階に市民交流拠点こうふアルジャンを設置し、同ビルおよび中央商店街の活性化を図ったが、駐車場不足という根本的な問題が解決しない状態での開業だったため開業初年度から苦しい経営が続き、また甲府市も財政難のため2008年(平成20年)4月に5階を閉鎖し、4階のみに規模を縮小した。甲府銀座ビルを活用する事業を盛り込んだ甲府市中心市街地活性化基本計画も見通しの甘さから中心市街地活性化法の認可が遅れ、11月にようやく受けたものの世界同時不況の影響からオギノおよび甲府市役所はこれ以上維持することは困難と判断し、2009年(平成21年)2月14日を以てかすがもーる店の閉店およびこうふアルジャンは閉鎖された。
閉鎖から売却、解体まで
閉鎖後は上述で策定された甲府市中心市街地活性化基本計画においても「中心市街地活性化のボトルネックである」と懸念されていたが、築35年が経過し老朽化が進んでいることから具体的な活用手段が見いだせずにいた。
オギノおよび甲府市役所が撤退してから10ヵ月後の2009年12月に所有者が東京都内在住の女性に変更され、10階建ての複合ビルへ建て替えを公表[4]。2010年7月に事業会社を設立し準備に取り掛かっていたが、2011年2月に税金を滞納していたことが発覚し、東京国税局に差し押さえられた[5]。ビルは競売にかけられ、同年6月の最初の競売では元々同ビルを管理していた会社が落札権利を得たが期日までに入金しなかったため不成立。同年9月に再度競売にかかったが落札者は現れなかった[6]。2度にわたる競売不成立の理由として上述の通り老朽化が進んでいることから現在の建物は解体または大規模な改装が必要となり、それに対する費用が膨大になることが挙げられている[7]。
2013年6月4日に3度目の入札が行われ、競売の結果東京都の不動産会社「アクロス」(現在の名前。当時は「シーアンドスタイル」)が9200万円で落札権利を手にすることになった[8]が、先述の女性から異議申立てが数十日後にあり、国税不服審判所による審議が行われることになった事から売却は保留となり、同年度内の着工は困難となっていた[9]。年度が変わった2014年6月11日に東京国税局が同月10日付で異議申立てを棄却[10]、落札したアクロスが翌月までに落札額を納め正式に取得した。建物は同年11月より解体が始まり、甲府銀座ビルとして終焉を迎えた[11]。
脚註
注釈
- 山梨県の映画館「消えた映画館の記憶」を参照した[1][2][3]。
- トポス_(ディスカウントストア)#過去に存在したトポスの店舗より
出典
- 『甲府市今昔写真帖』郷土出版社、2004年、p.84
- 『保存版 昭和写真大全 甲府』郷土出版社、2010年、p.107
- 『写真アルバム 甲府市の昭和』樹林舎、2016年、p.171
- 2009年12月15日、山梨日日新聞
- 2011年2月19日、山梨日日新聞
- 2011年9月6日、読売新聞県内版
- 2013年1月11日、読売新聞
- 2013年6月5日、山梨日日新聞
- 2014年1月9日のYBSワイドニュース)より
- 読売新聞山梨版2014年6月12日付
- 山梨日日新聞2014年9月11日付
- 朝日新聞2014年12月18日付
- “甲府銀座ビル跡地 約39億円で複合ビル建設”. 山梨建設新聞 (日本工業経済新聞社). (2014年12月19日) 2020年1月30日閲覧。
- “物件概要”. Hoo sumai. 2019年3月21日閲覧。