田付景澄

田付 景澄(たつけ かげすみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士・砲術師。田付流の祖。当時、田付景澄、稲富流の稲富祐直安見元勝を鉄砲の3名人と称した。子孫は代々四郎兵衛を名乗り、井上正継を祖とする外記流の井上家と共に幕末まで鉄砲方を勤めた[4]

 
凡例
田付景澄
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 弘治2年(1556年
死没 元和5年10月14日1619年11月19日
戒名 宗鉄景澄
墓所 千葉県香取市善雄寺浄土宗
官位 兵庫助
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家康
氏族 田付氏
父母 父:田付景定
兄弟 景澄、新兵衛
伊庭藏人娘
景治[1]景豊(新助)[2]正景[3]

出自

田付氏近江国神崎郡田付村[5]に住し、その土地の名から田付を称した。戦国時代の田付氏は、南近江に勢力を誇った守護大名六角氏に属する国人として、田付城三ツ屋城主であった[6][7][8]

生涯

弘治2年(1556年)、田付景定(美作守)の子として誕生。祖父は田付景廣(美作守)[8]

永禄11年(1568年)9月、父・景定が織田信長のために田付において生害し、摂津国三田[9]へ移り住む[8]。『徳川幕臣人名辞典』には、父・景定は織田信長の家臣とある[4]

慶長10年(1605年)、景澄の三男・正景が10歳で近江膳所藩2代藩主・戸田氏鉄の家臣となる[10]慶長13年(1608年)、伝書「求中集」を著す。同年12月30日、土井利勝小見川藩主の時、下総国香取郡[11]において采地500を給う[8][12]。慶長18年(1613年)12月29日、銃技妙手として、徳川家康に召し抱えられる[8][12]

慶長19年(1614年)12月18日、大坂冬の陣において、片桐且元の下知により景澄が放ったカルバリン砲大坂城天守閣の二重目の柱に当り、和議への機運が高まった。大坂夏の陣においては、土井利勝に属し、首一級を得る。安藤重信の下知により、備前島より大筒を放つ[8][12]

大坂の陣後は、江戸の小石川とび坂[13]に屋敷を構え、砲術の師範として仕える[14]

子孫

長男(兵庫助・四郎兵衛家)

田付兵庫助景治(かげはる)が家督を継ぐ。景治の後は景澄の弟・新兵衛の四男・圓方(景利)を養子に迎え、代々「四郎兵衛」を名乗る。幕末まで鉄砲方及び火付盗賊改方を務める[8][15][16]

又、四郎兵衛家の分家として「又四郎」の系統があり、とげぬき地蔵の通称で知られる巣鴨高岩寺に「御影」の元と版木を納めた田付又四郎景厖(かげあつ)がいる。景厖は御書院番を経て、佐渡奉行(1739年-1742年)、長崎奉行(1742年-1746年)の役に就き、後に御番頭組頭の役に就いている[8][14][17]

二男(福島屋・新助家)

新助(景豊)は14歳で武士の身分を捨て、近江商人の両浜組の屋号「福島屋」として松前藩蝦夷地に進出した。田付新助家の初代である[7]

三男(左太夫家)

田付左大夫正景(まさかげ)は10歳で膳所藩戸田氏鉄に召し抱えられ、代々「左太夫」を名乗る。戸田氏鉄が大垣藩へ移封されてからは同藩砲術師範として仕えた。島原の乱では藩主・氏鉄に従軍した。二男・新助(景豊)が武士の身分を捨てたので、正景を次男とする書もある[10]。 幕末の子孫、田付景賢は安政5年、21歳で家督を継ぎ、大垣藩砲術師範を命ぜられる。戊辰戦争の軍事奉行補佐として東山道先鋒隊に従軍し、後に軍事奉行を命ぜられる。景賢の養嗣子に外交官ブラジル大使田付七太[18]。七太の子に外交官田付辰子デンマーク大使外務大臣官房長の田付景一(妻は伊藤博文の曽孫の田付美代子)がいる。

その他

  • 脇坂安治の母に田付景治の妹とあるが、田付景澄と脇坂安治がほぼ同年代であるため、田付景澄の長男である田付景治とは同族の別人と考えられる[8]
  • 景澄の弟に新兵衛某がおり、福島正則の家臣となり、後に土井利勝に仕える人物がいる[8]
  • 文亀3年(1503年)まで田付城の城主は田付重房であった。その子・安重は日野音羽城主・蒲生賢秀に仕えた[6]
  • 蒲生氏郷の家臣で「田付理介」という人物がいた[19]

脚注

  1. 江戸幕府鉄砲方
  2. 近江商人
  3. 大垣藩砲術師。
  4. 竹内誠深井雅海太田尚宏白根孝胤編『徳川幕臣人名辞典』 2010
  5. 現在の滋賀県彦根市田附町。
  6. 寺田所平『稲枝の歴史』 1980
  7. 彦根市立教育研究所 編集『彦根の先覚』 1987
  8. 寛政重修諸家譜
  9. 現在の兵庫県三田市
  10. 大垣市 編『大垣市史(通史編 自然・原始~近世)』 2013
  11. 現在の千葉県香取市一ノ分目。
  12. 徳川実紀
  13. 現在の富坂、文京区小石川2丁目付近。
  14. 大武鑑
  15. 日置昌一日本系譜総覧』 1973
  16. 太田亮姓氏家系大辞典』 1936
  17. 田付又四郎『田付又四郎先祖書』 筑波大学附属中央図書館所蔵 寛政11年(1799年)10月
  18. 大垣市 編『大垣市史(中巻)』 1930
  19. 塙保己一編『群書類従巻三百八十九 蒲生氏郷記』

関連項目

外部リンク

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