瓦曽根溜井
概要
1600年頃に瓦曽根堰が元荒川に設置され溜井ができた。農業用水のための溜井として江戸期から利用されていた。西部の一部が埋め立てられ、越谷市役所などが建設された(主に越ヶ谷4丁目にあたる部分)。東京葛西用水路[1]、谷古田用水、八条用水が分水している。岸沿いに葛西親水緑道が整備され、花菖蒲やアジサイが植えられている[2]。非灌漑期にはキタミソウ(環境省レッドデータブック絶滅危惧1A類に分類)が溜井に群生する[3]。
脚注
- “水辺再生100プラン 東京葛西用水/越谷市大吉他” (PDF). 2022年7月23日閲覧。
- 広報こしがや季刊版 夏号(平成24年6月) (PDF) p. 5 - 越谷市、2015年12月6日閲覧。
- 水の都(瓦曽根堰と瓦曽根溜井) (PDF) - 埼玉県、2015年12月6日閲覧。
外部リンク
- 瓦曽根溜井の見学資料 (PDF) - NPO法人越谷市郷土研究会
- 葛西用水(その4) - ウェイバックマシン(2007年2月25日アーカイブ分) - 有限会社フカダソフト(気まぐれ旅写真館)
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