びわ湖ローズタウン
概要
開発主体は、日本住宅公団(現・都市再生機構)と京阪電気鉄道。面積は196.1ヘクタールで、計画戸数は5000戸、計画人口は20000人[3]。曼荼羅山をはさむ東西ブロックに分けて住宅地や学校、公園などを機能的に配置し、自然環境と生活環境の調和を目指したまちづくりが行われている[4]。上下水道やガスの供給施設は全てタウンの内部に配置し、下水は雨水と汚水を分離させた分流方式でありタウン内の下水処理場で第3次処理まで行われる[5]。
歴史
京阪電気鉄道は1963年(昭和38年)に琵琶湖開発部を発足させ、翌年の1964年(昭和39年)に和邇や堅田で住宅や観光のために開発を行う構想を描きながら用地買収の交渉を開始した[6]。この構想は系列会社である江若鉄道に対する経済的な支援の意味合いもあり、1967年(昭和42年)には198万平方メートルの用地買収が完了していた[4]。国鉄湖西線の建設と江若鉄道の廃線によって開発の再検討が行われ、1968年(昭和43年)4月に京阪電鉄は日本宅地開発協会にマスタープランの作成を委託し、堅田ニュータウン開発策定委員会を発足させた[4]。1969年(昭和44年)10月に堅田ニュータウン開発事務所を設立し、1970年(昭和45年)には都市計画法に基づいて用途地域の変更によってニュータウン建設予定地区が土地区画整理事業の施工を条件に市街化区域となった[4]。「京阪堅田ニュータウン土地区画整理事業」として正式な認可が下されたが、滋賀県漁業協同組合連合会から公害を防止するための対策が不十分であると認可に反対を表明した[7]。これに対して京阪電鉄は沈砂池や下水処理場の設置、漁業被害への補償を提示した[7]。
脚注
- 曼荼羅山古墳群 - 大津市歴史博物館(大津の歴史データベース)
- 真野北学区自主防犯推進協議会(滋賀県) (PDF) - 警察庁自主防犯ボランティア活動支援サイト(2008年のフォーラム発表資料)
- 秦憲志・浅野智子・末富孝也・森大顕・戸谷秀子『大津市の大規模開発団地における近年の動向「生活行動とまちづくり課題」 (PDF) 』 - 日本都市計画学会関西支部研究発表会講演概要集第5巻(2007年)
- 志賀町誌編集委員会 2002, p. 401.
- 志賀町誌編集委員会 2002, pp. 401–402.
- 志賀町誌編集委員会 2002, pp. 400–401.
- 志賀町誌編集委員会 2002, p. 402.
- 『京阪70年のあゆみ』京阪電気鉄道、1980年(渋沢社史データベース)
- 真野中学校 沿革
- 住宅街出現 古代ロマン変貌 JR湖西線「小野」 滋賀新聞2006年9月30日号
参考文献
- 志賀町誌編集委員会『志賀町誌 第3巻』志賀町、2002年3月25日。
関連項目
- くずは - 京阪が当ニュータウンに先んじて開発した「くずはローズタウン」がある。
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