満鉄刀
概要
1935年(昭和10年)頃、南満洲鉄道株式会社(満鉄)中央研究所の日下和治博士を筆頭とするチームが、満洲東辺道大栗子(だいりっし)で産する、不純物の少ない良質な鉄鉱石を低温精錬して得られたスポンジ鉄を製造し、 アーク炉内で再度溶解、成分調整して炭素量の多い鋼(特殊鋼)と炭素量の少ない純鉄(日下純鉄)の製造を開発した。満鉄刀は、これを用いてパイプ状に加工したのち、皮金に穴をあけ芯金を入れて日本刀に整形したものであり、古来の日本刀製法とは全く異なる。「パイプ法」または「モロ包み」という工程は13に分けられ、流れ作業で製造され1日100振りが生産目標であった[1]。
量産開始後の1939年(昭和14年)3月、松岡洋右満鉄総裁により「興亜一心」と命名され、1振り40円で販売された[1]。1939年から1944年(昭和19年)まで約5万振りが製造された[1]。日本刀製法では、刀工自ら槌で折り返す鍛錬をすると心金と呼ばれる刀身真ん中の柔らかい鉄が均等にならないが、満鉄刀は心金を均等に真ん中にしている。寒冷地で使用しても折れず曲がらず切れ味も優れているとして評判だった[1]。
脚注
注釈
出典
- 満鉄会報 227号
関連文献
外部リンク
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.