渡辺輝一
人物・経歴
愛媛県出身。1923年に東京商科大学(現一橋大学)卒業[1]。町田實秀(のちに法制史学者、一橋大学名誉教授)とは三浦新七ゼミの同期[2]。1924年に横浜高等商業学校が開校されると同校教授に着任し、商業政策、交通論、商業英語を担当した[3]。また、同校と横浜市立横浜商業専門学校の教授の懇談会をイスぺ会と命名した[4]。ゼミの指導学生に上野豊(のちに横浜商工会議所会頭等)などがいた[5]。
1941年に太平洋戦争が始まると、横浜高等商業学校内に、田尻常雄校長が自らが所長となり設立された太平洋貿易研究所において、各務財団から助成を受けて調査研究に従事し、さらに仏印進駐後には、1942年に新設された南洋学院の教授に就任し、フランス領インドシナでの現地調査も行った[3]。
1949年に学制改革により横浜国立大学教授兼横浜経済専門学校教授となる[6]。1950年横浜国立大学附属図書館長[7]。1953年横浜国立大学経済学部学部長兼評議員[8][9]。1959年再度横浜国立大学経済学部長[10]。1965年に定年退官後[11]、横浜国立大学より名誉教授の称号を受け[12]、関東学院大学教授に就任[13]。1971年勲二等瑞宝章受章[14]。1988年叙従三位[15]。
著書
- 『近世日本商業史』帝國書院 1934年
- 『交通學の學問的性格』1938年
- 『日本經濟文化史』構造社 1946年
参考文献
- 『認識のうた-渡邊輝一先生の人と学問』渡辺輝一先生追悼文集刊行委員会 1989年
脚注
- 東京商科大学一覧 昭和11年度
- 法学博士町田茸秀先生
- 第一部 社会科学系部局の発展横浜国立大学
- 齊藤 毅憲横浜の大学における「連合学会」の生誕と解散 : 大学間提携はどのようにして生まれ、そして消滅したのか横浜市立大学学術研究会
- 多くを生きる (経営学部創設20周年記念講演会)横浜経営研究 8(4), 279-293
- 官報昭和24年本紙第6793号 29頁
- 官報昭和25年本紙第6962号 355頁
- 官報昭和28年本紙第7900号 168頁
- 官報昭和28年本紙第8028号 172頁
- 官報昭和34年本紙第9682号 48頁
- 官報昭和40年本紙第11491号 10頁
- 官報63年本紙第18371号 11頁
- 戦後二十年の経済政策 (日本経済政策学会年報 ; 16) 日本経済政策学会 編 勁草書房, 1968
- 官報昭和46年号外第49号 7頁
- 官報昭和63年本紙第18371号 11頁
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