清雲栄純
清雲 栄純(きよくも えいじゅん、1950年9月11日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ラグビー選手、法政大学スポーツ健康学部教授[2]。サッカー選手時代のポジションはDF。
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名前 | ||||||
カタカナ | キヨクモ エイジュン | |||||
ラテン文字 | KIYOKUMO Eijun | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1950年9月11日(72歳) | |||||
出身地 | 山梨県塩山市 (現:甲州市) | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1969-1973 | 法政大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1973-1982 | 古河電気工業 | 149 | (6) | |||
代表歴 | ||||||
1974-1980[1] | 日本 | 42 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1984-1990 | 古河電気工業 | |||||
1994-1995 | ジェフユナイテッド市原 | |||||
1997-1998 | 日本 U-20 | |||||
2003 | 大宮アルディージャ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
中学時代までは野球をしていた[3]。山梨県立日川高校入学後、クラス対抗ラグビー大会の活躍によりまずラグビー部からスカウトされ、その後サッカー部にも入り、両部を掛け持ちするようになる。サッカーでは県大会3位止まりだったが、主にフルバックやウイングとしてプレーしたラグビーでは3年生の時に全国高校ラグビー大会で準々決勝まで進出し、大会ベストフィフティーンにも選ばれた。高校時代の同級生には有賀健とジャンボ鶴田がいる。一般入試で法政大学社会学部社会学科へ入学し、在学中はサッカー部に入り、4年時にはキャプテンを務めた。
清雲は目立った実績がない無名選手だったため、日本サッカーリーグ(JSL)のチームからの誘いはなかったが巡回コーチとして各大学をまわっていた八重樫茂生の紹介によりテスト生として古河電気工業に入団する。1年目の1973年からポジションを確保すると、1974年から1976年まで3シーズン連続でJSLベストイレブンに選ばれ、1976年には古河のJSL初優勝に貢献した。1982年に引退するまでの10シーズンの通算成績は149試合6得点2アシスト。
日本代表には1974年6月6日のミドルセックス・ワンダラーズA.F.C.戦でデビュー。FIFAワールドカップ予選1大会、オリンピック予選2大会に出場した。
選手としての最終シーズンとなった1982年から兼任という形で古河のコーチを務め、1984年に監督に昇格した。1985年にリーグ優勝。また、アジアクラブ選手権1986で日本のチームとして初めての優勝に導いた。1992年から1994年までは日本代表のスタッフに入り、ハンス・オフトのもとでコーチを務めた。1994年から2シーズンは古河の後身にあたるジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)で監督を務めた。
1999年から大宮アルディージャでゼネラルマネージャー(2003年10月から12月まで、シーズン途中で解任された菅野将晃に代わり監督を兼任)、2004年からトータルアドバイザーを務めた。2004年度から母校の法政大学の教授に就任。2004年度から工学部に、2009年度から新設されたスポーツ健康学部に所属している。2012年12月、千葉の運営会社であるジェフユナイテッド株式会社の取締役に就任した。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1973 | 古河 | 17 | JSL1部 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1974 | 5 | 17 | 0 | - | 0 | 0 | |||||
1975 | 18 | 0 | - | 0 | 0 | ||||||
1976 | 18 | 2 | 0 | 0 | 2 | ||||||
1977 | 16 | 2 | 1 | 0 | 3 | ||||||
1978 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
1979 | 18 | 1 | 3 | 1 | 3 | 0 | 24 | 2 | |||
1980 | 12 | 1 | 1 | 0 | |||||||
1981 | 18 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | |||
1982 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | |||
通算 | 日本 | JSL1部 | 149 | 6 | 0 | ||||||
総通算 | 149 | 6 | 0 |
・JSL東西対抗戦 1回出場(1980年)
代表歴
出場 1回出場(1980年)大会など
指導歴
- 1982年-1990年 古河電気工業
- 1982年-1983年 コーチ
- 1984年-1990年 監督
- 1992年-1993年 日本代表:コーチ
- 1994年-1997年 ジェフユナイテッド市原
- 1994年-1995年 監督
- 1996年-1997年 チーム統括部長
- 1997年-1998年 U-18日本代表:監督
- 1999年-2012年 大宮アルディージャ
- 1999年-2003年 ゼネラルマネージャー
- 2003年10月-12月 監督 (兼務)
- 2004年-2012年7月 トータルアドバイザー
- 2012年7月- ジェフユナイテッド市原・千葉 トータルアドバイザー
監督成績
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
1984 | JSL1部 | 古河 | 4位 | 18 | 21 | 8 | 5 | 5 | ベスト8 | 準優勝 |
1985 | 優勝 | 22 | 35 | 15 | 5 | 2 | ベスト4 | ベスト8 | ||
1986-87 | 4位 | 22 | 26 | 10 | 6 | 6 | 優勝 | 辞退 | ||
1987-88 | 7位 | 22 | 21 | 6 | 9 | 7 | ベスト8 | ベスト4 | ||
1988-89 | 6位 | 22 | 29 | 8 | 5 | 9 | 2回戦 | 2回戦 | ||
1989-90 | 4位 | 22 | 38 | 10 | 8 | 4 | 2回戦 | 1回戦 | ||
1994 | J | 市原 | 9位 | 44 | - | 19 | - | 25 | ベスト8 | 2回戦 |
1995 | 5位 | 52 | 88 | 28 | - | 24 | - | 1回戦 | ||
2003 | J2 | 大宮 | 6位 | 6 | 12 | 4 | 0 | 2 | - | - |
その他
- アジアクラブ選手権1986 優勝(1986年)
- アフロアジアクラブ選手権1987 準優勝(1988年)
参考文献
- 「連載16語録データ 清雲栄純」『サッカーマガジン』ベースボール・マガジン社、1983年1月1日号 No.279、106ページ
- 「蹴魂 第10回 清雲栄純」『週刊サッカーマガジン』ベースボール・マガジン社、2008年6月24日号 No.1193、60-61ページ
- “清雲栄純トータルアドバイザー法政大学工学部教授就任のお知らせ”. J's GOAL (2004年4月24日). 2014年8月28日閲覧。
脚注
- “清雲 栄純”. サッカー日本代表データベース
- スポーツ健康学部 > 教員紹介-法政大学HP 2012年5月3日
- “論文”. ジャンボ鶴田の部屋. 2012年9月8日閲覧。
外部リンク
- 清雲栄純 - National-Football-Teams.com (英語)
- 清雲栄純 - WorldFootball.net (英語)
- 清雲栄純 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 清雲栄純 - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- 清雲栄純 - J.League Data Siteによる監督データ