桜堂薬師

桜堂薬師(さくらどうやくし)は岐阜県瑞浪市土岐町字桜堂にある寺院で、山号は瑞櫻山。本来の寺号は法妙寺であるが、通称の桜堂薬師の名で広く知られている東濃地方屈指の古刹。

桜堂薬師
所在地 岐阜県瑞浪市土岐町5728
位置 北緯35度22分51.8秒 東経137度16分18.5秒
山号 瑞桜山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建年 弘仁3年(812年)
開山 三諦上人覚祐
中興年 寛文7年(1667年)
中興 丹羽氏純
正式名 法明寺(法妙寺)
別称 妻薬師
桜堂薬師の位置(岐阜県内)
桜堂薬師

開創以前、奈良時代元正天皇の皇女の病を癒したという伝説があり、境内には皇女の病を癒したと伝わる疣岩という霊石がある。

弘仁3年(812年)、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師円仁の法嗣である三諦上人覚祐が天台宗の寺院として開いたと伝わる。上人が当地を訪れた際、桜の葉の虫食い跡が経文となる奇瑞があったとされる。三諦上人はこの地で没したとされて、その供養塔が寺の東の山中にある。

供養塔には元慶3年(879年)と記銘されていたといわれ、岐阜県最古の記銘石造建造物として県指定の史跡となっている。そのころの桜堂薬師は高野山比叡山に並び三山と呼ばれていたとされている。

その後、沙石集の名所として紹介されるなど、鎌倉時代にも崇敬を集めていた。鎌倉幕府からも保護され比叡山の末寺として24坊とも36坊とも言われる坊院を有していた。24の坊院の名前と場所は現在に伝わっている。

元亀2年(1571年)に武田氏の東濃侵攻の際に森長可によって焼かれるが、戦乱が収まった後に森長可と土岐信友によって再興される。

その後江戸時代に入ると岩村藩主の松平氏によって保護されるが、松平氏が国替えによって岩村を離れると外護者を失い衰退した。天台僧永秀が衰退した桜堂薬師を訪れて再興を志したものの、老齢のため法嗣の賢秀にその希望を託した。

寛文7年(1667年)に松平氏に代わって岩村藩主となった丹羽氏純の助力を得て再建が成る。その後、無住となり臨済宗妙心寺派の信光寺が管理している。

寺宝として陵王、抜頭、納曽利の舞楽面や松平氏や丹羽氏、名古屋の商人によって慶長年間から享保年間にかけて奉納された絵馬があり、これらは岐阜県の文化財に指定されている。このうち、絵馬は所蔵していた掛け軸などと共に平成14年(2002年)に盗難に遭い失われた。

寺院境内の観音堂にある観音菩薩は大悲山で峰山観音として祀られていたものを当寺に移したものである。寺の周りに鶴池、亀池と呼ばれる池があって花の名所となっている。

脚注

    参考文献

    • 瑞浪市教育委員会 『瑞浪市史 歴史編』p221 2006年
    • 吉岡勲監修『岐阜県百寺』p182,183 1987年
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