歩大汗薩
経歴
北魏の龍驤将軍・領民別将の歩大汗居の子。六鎮の乱が起こると、歩大汗薩は一家を率いて南方に避難し、秀容で爾朱栄に帰順した。爾朱栄の入洛に従い、軍功により揚武軍帳内統軍に任ぜられ、江夏子の爵位を受けた。葛栄の乱の平定に参加し、功績を重ねて、鎮南将軍を加えられた。爾朱栄の死後、爾朱兆の入洛に従い、帳内大都督に任ぜられた。爾朱兆の下で韓陵の戦いに参加し、爾朱兆が敗れると、歩大汗薩は高歓に降った。第三領民酋長となり、秦州鎮城都督・北雍州刺史に累進した。東魏が建国されると、東寿陽三泉都督に転じた。538年、行燕州となり、臨川領民大都督に転じ、長広伯の爵位を受けた。柔然への使者として立ち、帰還後に儀同三司となった。五城大都督として出向し、河陽に駐屯した。また車騎大将軍・開府を加えられ、行唐県公に進封された。晋州刺史となり、安陵県男の別封を受け、驃騎大将軍を加えられた。550年、北斉が建国されると、義陽郡公に改封された。
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