横浜山手聖公会
歴史
- 1859年に横浜港が開港すると、横浜居留地に住む聖公会信徒のために横浜クライストチャーチ(英語集会)が発足し、英国領事館に集まって礼拝を行った。クライストチャーチは「駐屯地教会」とも呼ばれた。
- 1861年、駐屯地教会は一時的なものであることから、教会堂の建設とチャプレン(牧師)の確保が求められ、イギリス政府に請願。政府から入植者たちが集めた建設資金と同額の補助金が提供され、初代領事館チャプレンにマイケル・ベイリーが任命される[1]。
- 1862年初めに、教会堂および隣接する牧師館(横浜関内居留地101番地)の建設が始まり、同年8月にベイリーが来日し、領事館チャプレンを務める[1]。
- 1863年10月18日、横浜クライストチャーチ初代聖堂が横浜関内居留地105番(現在の中区山下町同番地)に完成。ベイリーが初代チャプレンとして主任司祭に任命される[2]。
- この横浜クライストチャーチ(英語集会)から生まれた日本語集会は後に「横浜聖アンデレ教会」となった。
- 1872年3月、ベイリーが引退して帰国。後任として領事館チャプレン(牧師)と横浜クライストチャーチのチャプレンにエドワード・サイルが代理牧師として同年4月に着任。
- 1901年、2代目の聖堂が現在地(中区山手町235番地)に完成し、英語集会が移転。設計はジョサイア・コンドル。煉瓦造りのヴィクトリア様式[2]。
- 1923年9月1日、関東大震災で聖堂が崩壊。仮設聖堂が建立される。
- 1931年、現在の礼拝堂竣工。設計はJ・H・モーガン。外形は大谷石を使ったノルマン様式の聖堂である。
- 1945年5月29日、横浜大空襲により内部を焼失。
- 1947年、聖堂が再建されて英語集会に加えて日本語集会が成立し、横浜山手聖公会と呼ばれるようになった。
- 1990年3月12日、横浜市認定歴史的建造物に認定。
- 1993年、聖堂修復完成。
- 2005年1月4日、放火と思われる火災により内部を全焼。11月に修復完成。
集会
所在地
横浜市中区山手町235番地
交通
- 根岸線(JR東日本)「石川町駅」元町口 徒歩20分
- 横浜高速鉄道みなとみらい線「元町・中華街駅」6番出口(アメリカ山公園口)徒歩3分
- 元町公園前バス停 徒歩1分
脚注
- Yokohama Christ Church『History of Christ Church』
- 横浜山手聖公会公式Web
- 礼拝時間ご案内
- Yokohama Christ Church (英語)
- 『日本聖公会横浜教区報』2014年6月25日:アンドリュー・デンジャーフィールド著「海の日に寄せて」
関連項目
外部リンク
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