横手市立朝倉小学校
横手市立朝倉小学校(よこてしりつ あさくらしょうがっこう)は、秋田県横手市睦成にある公立小学校。
横手市立朝倉小学校 | |
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北緯39度19分33.7秒 東経140度33分36.2秒 | |
過去の名称 |
石町小学校 睦成尋常小学校 朝倉尋常小学校 朝倉尋常高等小学校 朝倉国民学校 横手町立朝倉小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 横手市 |
併合学校 |
杉沢小学校 旧横手北小学校 |
校訓 | やさしく かしこく たくましく[1] |
設立年月日 | 1875年[2][3] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B105220302107 |
所在地 | 〒013-0008 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
画像外部リンク | |
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現校舎竣工時の写真 株式会社西原研究所[4] |
現行の朝倉小学校は、杉沢小学校との統合によって1983年(昭和58年)に新制・朝倉小学校として誕生したもので、現行の校舎もこの杉沢小学校との統合の際に移転・新築されたものである[2]。所在地が同市朝倉町でないにもかかわらず「朝倉」を校名に冠するのは、かつてこの一体が平鹿郡朝倉村であったことに由来する。
校舎は、1981年(昭和56年)に起工、1983年(昭和58年)に竣工した。設計は西原研究所(本社:東京都)で 、これまでの校舎とは異なる近代的な校舎として建築された[5]。中央には廊下兼多目的スペースとなる通路があり、教室棟・管理棟・体育館をその左右に設置し、一体的に連結する構造を取った[5]。校舎上にはシンボルともなる時計台が設置された[6]。
校章は、1983年の新制・朝倉小学校開校に合わせて公募され、当時鳳中学校に通っていた生徒(本校の卒業生でもある)のデザインが採用された。デザインは、朝倉小学校の頭文字である「A」の中央に、杉沢小学校をイメージした「杉」を表した小さな三角形があるものである[7]。
沿革
略歴
朝倉小学校の起源となるのは1875年に開校した「粛雝(しゅくよう)学校」であり、下八丁学校の分校から独立して誕生した[9]。その後、1883年の関根学校との統合により石町小学校へ、その後も校名の改称や移転を重ね、1930年には「朝倉尋常高等小学校」として現在はあさくら館(朝倉地区交流センター)がある場所に移転[2]。当時としては珍しいモダンな校舎として各地より視察が訪れるなど注目を集めた[10]。校名に「朝倉」を冠するようになったのは1889年からで、町村制によって朝倉村が発足した際である。
市は、1977年より朝倉・杉沢の2小学校の統合を検討し始めた。児童数が減少し、校舎の老朽化が進む杉沢小、そして宅地化が進んだことにより児童数が急増し、校舎が手狭になってきた朝倉小の両校は、かねてより地域から統合を求める声が上がっていた[11]。ただ、市は用地交渉に難航し、横手北小(初代)との3校統合など案も出たが、児童数が多くなりすぎることから、1980年には朝倉・杉沢の2校での統合が決定した[11]。
1983年に朝倉・杉沢小の統合が実現し新制・朝倉小学校が誕生、校舎も現行のものとなった。校舎移転後、元の校舎は横手図書館建て替え中の繋ぎとして一時的に図書館機能が入ることになり、1年ほど横手図書館としての役割を担った[12]。旧校舎の跡地に「あさくら館」が建てられたのは2002年のことで、旧校舎のモダンな雰囲気を踏襲している[13]。
一度は見送られた横手北小との統合だが、1997年に児童数減少に伴う通学区域再編のために横手北小は朝倉小へ編入された[14]。編入後、横手北小の跡地には1999年に横手城南高校の新校舎が移転・新築された[15]。
2016年に横手北中の隣接地(横手市八幡)に境町小・黒川小・金沢小の統合校である横手北小(2代目)が開校。朝倉小の一部学区が横手北小の学区へと再編された[16]。これにより、児童数は416名から338名へと減った[2]。
年表
以下、注釈の無い項目は学校の公式サイトの情報によるもの[2]。
- 1875年5月1日 - 前身となる「粛雝学校」が、現在の八幡神社跡に開校。
- 1883年11月3日 - 粛雝学校・関根学校を併合し、「石町小学校」へ統合。
- 1887年 - 「睦成尋常小学校」と改称し、睦成村碇に校舎を移転。杉沢分教場を設置[17]。
- 1889年4月1日 - 町村制の施行により朝倉村が発足し、「朝倉尋常小学校」と改称。
- 1902年 - 高等科を併設し、「朝倉尋常高等小学校」と改称。
- 1930年11月2日 - 新校舎落成式挙行。場所は現在のあさくら館。
- 1933年4月15日 - 町村合併により「横手町立朝倉小学校」と改称。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により「朝倉国民学校」と改称。
- 1947年4月1日 - 学校教育法(現行法)により、再度「横手町立朝倉小学校」と改称。
- 1950年4月1日 - 杉沢分教場が独立し、横手町立杉沢小学校となる[17]。
- 1951年4月1日 - 市制施行により横手市が発足し、「横手市立朝倉小学校」と改称。
- 1983年4月1日 - 杉沢小学校と統合し現在の校舎へ移転、新生朝倉小学校として開校[3]。校章、児童会の歌を制定[7][18]。
- 1996年 - コンピュータ室棟を増築[19]。
- 1997年4月1日 - 横手北小学校(初代)を編入統合[3]。
- 2009年 - 合言葉「今日もいい顔」スタート。
- 2016年4月1日 - 横手北小学校(2代目)が開校し、一部の学区が吸収される[20]。
通学区域
進学先中学校
- 横手市立横手北中学校 - 主な進学先[23]
脚注
- “学校教育目標具現化のために (本年度の重点)”. 秋田県総合教育センター (2011年10月). 2021年9月7日閲覧。
- “沿革 | 朝倉小学校”. 横手市教育委員会 (2021年9月28日). 2021年10月7日閲覧。
- “平成19年度 研究の成果と課題 - 秋田県教育委員会”. 秋田県総合教育センター (2008年3月21日). 2021年9月7日閲覧。
- "Asakura Primary School / Education". 株式会社西原研究所.(2023年4月1日閲覧)
- 『朝倉小の建設スタート 二十一世紀のモデル校舎に』秋田魁新報 昭和56年7月15日
- “達成校訪問”. ベルマーク教育助成財団. 2021年10月7日閲覧。
- “校章 | 朝倉小学校”. 横手市教育委員会 (2021年9月6日). 2021年10月7日閲覧。
- “横手市内の学童保育一覧”. 横手市. 2021年10月22日閲覧。
- 横手市史 通史編 近現代 2011, p. 74.
- “市報よこて No.276”. 横手市 (2017年6月1日). 2023年3月22日閲覧。
- 横手市史 史料編 近現代2 2010, p. 648.
- 横手市史 史料編 近現代2 2010, p. 685.
- 横手市史 通史編 近現代 2011, p. 637.
- 横手市史 史料編 近現代2010, p. 648.
- 『横手城南高、北小跡地に新校舎 県教委・グランドは現校舎跡』秋田魁新報 平成8年9月12日
- “「横手北小学校」開校に伴う通学区域の変更について”. 横手市 (2021年9月28日). 2023年3月22日閲覧。
- 横手市史 昭和編 1981, p. 360.
- “2023年「うさぎ年」がスタートしました!”. 朝倉小学校. よこてをつなごう(横手市教育委員会) (2023年1月17日). 2023年5月1日閲覧。
- “耐震状況(H29年4月1日現在)”. 横手市 (2017年4月1日). 2023年3月22日閲覧。
- “「横手北小学校」開校に伴う通学区域の変更について”. 横手市 (2021年9月28日). 2021年10月17日閲覧。
- “校歌”. 朝倉小学校. よこてをつなごう(横手市教育委員会). 2023年5月1日閲覧。
- “横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市 (2022年5月17日). 2023年5月1日閲覧。
- “在籍数一覧、市立小中学校の学区等”. 横手市 (2021年9月28日). 2021年9月28日閲覧。
参考文献
- 横手市編『横手市史 史料編 近現代Ⅱ』横手市、2010年。
- 横手市編『横手市史 通史編 近現代』横手市、2011年。
- 横手市史編さん委員会『横手市史 昭和編』横手市、1981年。