柳元景
生涯
元嘉27年(450年)、文帝が北伐の軍を起こすと、参軍の一人として従軍した。弘農郡を攻め落とし、続けて陝城を攻めたが北魏の援軍に阻まれた。薛安都の奮戦によって北魏の軍勢を退けたが、太武帝の南下を聞いて襄陽郡まで退いた。後に襄陽郡太守に任命された。また、劉徳願とも親交があった。
永光元年(465年)、江夏王劉義恭とともに前廃帝の廃立を謀ったが、沈慶之の密告により、家族(柳承宗・柳纂を除く)とともに殺害された。享年59。
家族
父
- 柳憑
子女
- 柳慶宗
- 柳嗣宗
- 柳紹宗
- 柳茂宗(柳共宗)
- 柳孝宗
- 柳文宗
- 柳仲宗
- 柳成宗
- 柳季宗
- 柳承宗(遺腹の子)
孫
- 柳纂(柳嗣宗の遺腹の子)
脚注
- 『宋書』巻7, 前廃帝紀 永光元年八月癸酉条による。
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