東洋大日本国国憲按

東洋大日本国国憲按(とうようだいにほんこくこっけんあん)とは、日本明治期における私擬憲法の一つ。1881年(明治14年)に、国会期成同盟の大会の決定を受け、立志社植木枝盛が起草した[1]

東洋大日本國々憲案(国立国会図書館所蔵)[注釈 1]

概要

自由民権左派の最も民主的急進的な私擬憲法として知られる。特徴としては現代における『皇室典範』と『憲法』の分化がなされておらず、両方の内容が書かれている。天皇に関しては「皇帝」と書かれ、軍の大元帥として、宣戦・講和の特権を有する立憲君主制であり、日本連邦を統治する元首とされた。自由権抵抗権(不服従権)・革命権連邦制一院制徴兵制などを定め、議会の権限が強いことが挙げられるが、「連邦制」の内容は廃藩置県以前の幕藩体制を髣髴させ、かつての徳川将軍家にあたる地位に「皇帝」を置くなど、中央集権を推し進める明治政府の方針と異なり、時代と逆行する内容を含んでいた[2]。その為、当時の自由民権家たちが植木枝盛の憲法草案に挙って賛成したとは言い難い内容であった[2]日本国国憲按ともいう。

国防・天皇の統帥権・緊急事態条項

植木の起草による『東洋大日本国国憲案』には、緊急事態条項[3]天皇の統帥権、国防軍の設置もしっかりと明記されている[2]

「第十一條、日本聯邦は日本各州に對し外國の侵寇を保禦するの責あり」「第二十一條、宣戦講和の権は聯邦にあり」「第二十六條、日本聯邦に常備軍を設置するを得」「第三十四條、日本各州は現に強敵を受けて大乱の生じたるが如き危急の時機に際しては聯邦に報じて救援を求ることを得、又た他州に向て應援を請ふことを得、各州右の次第を以て他州より應援を請はれし時、眞に其危急に迫るを知るときは赴援するを得、その費は聯邦に於て之を辨す」「第三十五條、日本各州は常備兵を設置するを得」「第三十六條、日本各州は護郷兵を設置するを得」「第七十八條、皇帝は兵馬の大権を握る宣戦講和の機を統ぶ。他國の獨立を認むると認めざるを決す。但し和戦の決したるときは直に立法院に報告せざる可からず」「第七十九條、皇帝は平時に在り立法院の議を経ずして兵士を徴募するを得」「第八十五條、皇帝は諸兵備を爲すを得」「第八十六條、皇帝は國政を施行するが爲めに必要なる命令を發する事を得」「第八十八條、皇帝は聯邦行政府に出頭して政を乗る」「第八十九條、皇帝は聯邦行政府の長たり。常に聯邦行政府の権を統ふ」「第九十條、皇帝は聯邦司法廳の長たり。其名を以て法権を行ふ。又法官を命ず」「第九十六條、日本國皇帝の位は今上天皇睦仁陛下に属す」「第百廿一條、聯邦立法院は聯邦の軍律を定むることを得」「第百廿三條、聯邦立法院は聯邦に関する兵制を議定することを得」「第百六十五條、日本聯邦行政権は日本皇帝に属す」「第百六十六條、日本聯邦の行政府は日本皇帝に於て統轄す」「第百七十一條、聯邦行政官は皇帝の命に従ふて其職務を取る」「第二百六條、國家の兵権は皇帝に在り」「第二百七條、國軍の大元帥は皇帝と定む」「第二百八條、國軍の将校は皇帝、之を撰任す」「第二百十四條、内外戰乱ある時に限り、其地に於ては一時、人身自由、住居自由、言論出版自由、集會結社自由等の權利を行ふ力を制し、取締の規則を立つることあるべし。其時機を終へは必す直に之を廢せさるを得す」「第二百十五條、戰乱の爲に已むを得ざることあれば、相當の償を爲して民人の私有を収用し、若くは之を滅盡し、若くは之を消費することあるべし。其最も急にして豫め本人に照會し、豫め償を爲す暇なきときは、後にて其償を爲すを得」「第二百十六條、戰乱あるの場合には、其時に限り已むを得さることのみ法律を置格することあるへし[2](植木枝盛起草『東洋大日本国国憲案』より)

抵抗権(不服従権)

第70條には「抵抗権」があり、第71條には「武器を持って抵抗する」ことも容認されている一方で、そのような内乱が実際に発生した場合は、第214條の定めに従い、自由の権利を制限し、取締り規則を定め、また第216條に基づき、臨時立法を成立させることを可能としている[2]

第七十條、政府國憲に違背するときは日本人民ほ之に従はざることを得。


【現代語訳】政府が憲法に違反した政策を行う時は、日本国民はこれに従わなくとも良い[4]
第七十一條、政府官吏壓制を爲すときは日本人民は之を排斥するを得。政府威力を以て擅恣暴逆を逞ふするときは日本人民は兵器を以て之に抗することを得。


【現代語訳】政府の役人が圧政を為す時は、日本国民はこれを排斥しても構わない。政府が威力をもって、ほしいままに暴逆を行おうとする時は、日本国民は(自衛手段として)武器をもって、これに抵抗することができる[4]

革命権

俗に「革命権」と呼ばれているが、国憲按にそのように書かれている訳ではない。また想定されているのは、フランス革命のような革命や、中国の王朝交代の様なものではなく、神武肇国の精神を大きく逸脱した場合、「維新回天」の活動を合法化する内容であった[5]

第七十二條、政府恣に國憲に背き擅に人民の自由權利を殘害し、建國の旨趣を妨くるときは日本國民は之を覆滅して新政府を建設することを得。


【現代語訳】政府が暴走して憲法に違反し、みだりに国民の自由の権利を侵害し、神武肇国天壌無窮の神勅)の精神を妨げる時は、日本国民は政府を打倒して、新政府を建設することが出来る[4][6]

すなわち、天皇を蔑ろにする逆賊が政府を牛耳った場合に限り、幕末の勤皇志士たちのような討幕活動ができるよう容認した条文である[7]

徴兵令

第79條の定めにより「皇帝は平常時において立法院の議を経ずして兵士を徴募することが出来る」とされ、天皇の大権によって徴兵を行うことが可能である[4]

影響

1889年(明治22年)に『大日本帝国憲法』が定められると、『東洋大日本国国憲按』を含む私擬憲法は時代遅れとなり、歴史の表舞台から忘れ去られた。

1930年代明治文化研究会などで明治憲法制定過程の実証的研究を進める鈴木安蔵らによって他の私擬憲法とともに再発見された。

鈴木は、第二次世界大戦後の1945年昭和20年)12月、自らが参加する憲法研究会が新憲法案「憲法草案要綱」を作成・公表した際に、土佐立志社による「日本憲法見込案」などとともに「東洋大日本国国憲按」を参考資料とした。護憲派の一部には「同『要綱』はGHQによる憲法草案のベースとなった」と主張し、さらに飛躍して「『東洋大日本国国憲按』は同草案を原型として公布されたため現行『日本国憲法』の間接的源流とみることができる」と主張する場合がある[8]

しかし、『日本国憲法』と国憲按を見比べた場合、両者は全く別物であり似ている箇所は皆無であると言って過言ではない[2]

そもそも『日本国憲法』は、自衛の軍隊に関する規定がないが、国憲按は天皇大元帥とする軍隊徴兵の規定があるなど、両者の隔たりは大きい[2]

脚注

  1. 植木枝盛の憲法構想”. 国立国会図書館. 2020年9月4日閲覧。
  2. 緊急事態条項と植木枝盛髙岡功太郎論述、一般社団法人板垣退助先生顕彰会
  3. 『東洋大日本国国憲案』の第214條、第215條、第216條が、緊急事態条項に相当する。
  4. 髙岡功太郎訳より
  5. 西南戦争の如きものを容認する意図で書かれたとも言われる。
  6. 山本泰弘訳では「政府がわがままにこの憲法に背き、勝手に人民の自由の権利を害し、日本国の趣旨を裏切るときは、日本国民はその政府を打倒して新たな政府を設けることができる」としているが、原文に「建国の旨趣を妨くるときは」と明確に書かれているため「日本国の趣意」では言葉足らずで良訳とは言えない。「建国の旨趣」とは「神武建国の理念」であり、すなわち髙岡功太郎訳の通り『日本書紀』に載せる「天壌無窮の神勅」の意と解するのが妥当であろう。
  7. 三要件が揃った時に、この権利が容認されるという説と、一つでも含まれれば行使できるという説がある。
  8. 鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』KADOKAWA<角川ソフィア文庫>、2014年、P.165-166
  1. なおウィキメディア・コモンズにあるこのファイルはpdfファイルになっており、文字起こしされたものはウィキソース上で閲覧可能である。外部リンクの項も参照。

関連項目

外部リンク

  • 小畑隆資『植木枝盛の憲法構想―「東洋大日本国国憲案」考―』岡山大学大学院社会文化科学研究科『文化共生学研究』第6号(2008年
  • 中村克明「校訂・日本国国憲案(植木枝盛憲法案)」『関東学院大学人文学会紀要』第134号、関東学院大学文学部人文学会、2016年、105-121頁、NAID 120006026438
  • 植木枝盛の憲法構想 - 史料にみる日本の近代 - 国立国会図書館 - 全文の画像あり。
  • 【現代語訳】植木枝盛「東洋大日本国国憲按」(筑波大学リポジトリ・PDF版) (ブログ版) - 山本泰弘による現代語訳
  • 髙岡功太郎緊急事態条項と植木枝盛』一般社団法人板垣退助先生顕彰会(2018年
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