李下玉
李 下玉(り かぎょく、? - 691年)は、唐の高宗の長女。母は蕭淑妃。中宗の異母姉にあたる。
李下玉 | |
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続柄 | 高宗第1皇女 |
称号 | 義陽公主(追贈:金城長公主) |
身位 | 公主 |
死去 |
天授2年(691年) |
埋葬 | 乾陵 |
配偶者 | 権毅 |
父親 | 高宗 |
母親 | 蕭淑妃 |
初め、義陽公主に封ぜられたか、母の蕭淑妃が武則天と争って死ぬと、同母妹である高安公主とともに冷宮に幽閉され、結婚も許されなかった。後に皇太子の李弘に発見されると、671年に権毅に降嫁した。691年、夫が武則天に対してクーデターを起こしたが失敗し、殺害される。やがて公主も死去した。
中宗が復位すると、金城長公主を追贈され、乾陵に陪葬させた。
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