朱豪英

朱 豪英(チュ・ホヨン、朝鮮語: 주호영1960年1月8日 - )は、大韓民国政治家法曹弁護士。第17~21代国会議員国民の力院内代表。初代特任長官正しい政党院内代表などを歴任した。

朱豪英
주호영
生年月日 (1960-01-08) 1960年1月8日(63歳)
出生地 大韓民国の旗 大韓民国江原道(現・慶尚北道蔚珍郡北面
出身校 嶺南大学校大学院法学博士課程修了
所属政党ハンナラ党→)
セヌリ党→)
正しい政党→)
自由韓国党→)
未来統合党→)
国民の力

内閣 鄭雲燦
在任期間 2009年9月30日 - 2010年8月30日
大統領 李明博

選挙区大邱広域市寿城区乙→)
大邱広域市寿城区
当選回数 5回
在任期間 2004年5月30日 -
朱豪英
各種表記
ハングル 주호영
漢字 朱豪英
発音: チュ・ホヨン

本貫新安朱氏仏教徒[1]

経歴

法曹家として

1960年江原道(現・慶尚北道蔚珍郡で生まれた[2]1978年に能仁高校、1982年嶺南大学校法学部を卒業[2]。卒業後は嶺南大学校大学院に進学し、その年の第24回の司法試験に合格[2]。大学院法学修士課程修了後の[3]1985年軍法会議検察官、1988年に大邱地裁判事、1996年に大邱高裁判事などを歴任し[2]2003年2月に大邱地裁部長判事として退官[2]。退官後は、法律事務所を開設し弁護士として活動する[2]

政界入り

2004年4月に実施される第17代総選挙大邱広域市寿城区乙からハンナラ党公認で出馬し[2][4]、当選した[2][5]2007年ハンナラ党大統領候補選挙に出馬した李明博ソウル特別市長の秘書室長に就任し[2][6]、党公認候補に当選すると秘書副室長に任命された[7]12月19日に李明博が大統領に当選すると当選者スポークスマンに任命された[8]

2008年4月9日に実施された第18代総選挙ハンナラ党公認で出馬し、再選を果たし[2][9]5月22日ハンナラ党院内首席副代表に選出された[2][10]2009年9月3日には李明博の秘書室長やスポークスマンを務めた際に大統領の信任を得たことや、曹渓宗などの仏教界と関係が深いことから、10年ぶりに復活した特任長官に指名された[11]国会の人事聴聞会で聴聞報告書が採択され、9月30日に就任した[12]2010年8月30日に特任長官を退任し、ハンナラ党のシンクタンク、汝矣島研究所の所長に転じた[13]2011年にはハンナラ党人材招聘委員長に転じた[2]

2012年4月11日に実施された第19代総選挙に多くの親李明博派が党公認から脱落する中、セヌリ党公認で出馬し[2][14]、3選を果たした[2][15]。同年からセヌリ党大邱市党委員長を務め[2]2014年にセヌリ党政策委議長に転じ[2]7月25日に党最高委員会議で、セウォル号沈没事故は「基本的に交通事故」と述べ、各界から批判を浴びた[16]2015年には国会公務員年金改革特別委員会委員長、情報委員長に選出された[17]

新党結成へ

2016年4月13日に実施された第20代総選挙ではセヌリ党が非朴槿恵系である朱に公認を出さず[18]、無所属で立候補し[19]、セヌリ党候補を破り4選を果たした[20]2016年6月16日にはセヌリ党革新非常対策委員会の決定によって復党が決定され[21]8月9日に実施された党代表戦に非朴派の統一候補として立候補したが、親朴派の李貞鉉に敗れた[22]朴槿恵韓国大統領弾劾訴追を受けて12月27日に非朴派議員と共にセヌリ党を離党し[23]、新党結成に参加[24]正しい政党の院内代表、代表権限代行に選出され、党指導部の一員となったが[25]、同年11月13日に開催された党大会で正しい政党を離党し[26]自由韓国党に入党した[27]2019年2月27日に実施された自由韓国党代表選に出馬したが黄教安に敗れた。

2020年4月15日に実施された第21代総選挙大邱広域市寿城区甲から未来統合党公認で立候補し[2]、5選を果たした[2]5月9日に開かれた同党当選者会で院内代表に選出され、指導部が発足するまでの代表権限代行を兼任することになった[28]2021年6月11日に実施された国民の力代表選に立候補したが、得票数3位で落選した[29]

2022年8月9日、国民の力の非常対策委員長に任命された[30]。代表を解任された李俊錫は委員長任命に関する手続きの効力停止を求める仮処分を申請し、26日、ソウル南部地裁は、李の訴えを認め、朱の職務執行を停止する仮処分決定を下した[30]

脚注

  1. 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月13日閲覧。
  2. 주호영 (朱豪英) JOO HOYOUNG毎日経済新聞 레이더P
  3. 1997年に大学院法学博士課程修了。
  4. 2004총선한나라당 공천확정지역 東亜日報 2004年4月2日
  5. 17대 총선 당선자 東亜日報 2004年4月16日
  6. 주호영 비서실장 "정인봉, 전형적 '김대업 수법'" 東亜日報 2007年2月12日
  7. 한나라 대변인 나경원-박형준… 원내 수석부대표 심재철 東亜日報 2007年9月4日
  8. 李당선자 비서실 조직-인선 마무리 東亜日報 2007年12月27日
  9. 18대 총선 당선·후보자 득표 현황 東亜日報 2008年4月11日
  10. 한나라 홍준표 원내대표-임태희 정책위의장 선출 東亜日報 2008年5月23日
  11. ‘정치권과 소통’ 특임장관 11년만에 부활 東亜日報 2009年9月4日
  12. 李대통령 “국무위원들 부처 이해에 매몰돼선 안돼” 東亜日報 2009年10月1日
  13. 한나라 대변인 배은희 의원 … 여의도연구소장 주호영 내정 東亜日報 2010年8月26日
  14. “영남이 안풀려” 與 공천발표 또 연기 東亜日報 2012年3月8日
  15. 약속 2012 4·11총선 이후親李는 흩어져도 非朴은 살아있다 東亜日報 2012年4月13日
  16. 주호영 “세월호는 기본적으로 교통사고” 발언…논란 ‘일파만파’ 東亜日報 2014年7月25日
  17. 與野 중진끼리 위원장 나눠먹기 東亜日報 2015年3月25日
  18. 公認脱落の朱豪英議員「仏教界の反発をどうするつもりか」 東亜日報 2016年3月17日
  19. 與, 탈당에 흔들… 野는 단일화 속도 東亜日報 2016年3月25日
  20. 구멍난 與의 심장… 대구 4곳서 패배 東亜日報 2016年4月14日
  21. 与党、離党派の一括復党を決定 126議席で最大政党に 東亜日報 2016年6月17日
  22. 2보이정현 신임 새누리당 당대표 “지금부터 어떤 계파도 없다” 東亜日報 2016年8月9日
  23. セヌリ党の非主流派議員29人が離党、与党は99議席に 改憲阻止線崩壊 東亜日報 2016年12月28日
  24. 김무성, 나경원 신당 합류 보류에 “나경원 뜻 몰라…직접 물어보라” 시쿤둥 東亜日報 2016年12月27日
  25. 바른정당 대표에 정병국 東亜日報 2017年1月24日
  26. 유승민 “죽음의 계곡 건널것”… 정치력 시험대에 東亜日報 2017年11月14日
  27. 황영철 “바른정당, 국민의당과 통합하면…추가 탈당 있을 것” 東亜日報 2017年11月10日
  28. 未来統合党の新院内代表に朱豪英氏、「政権担当政党目指して立て直す」 東亜日報 2020年5月9日
  29. 韓国最大野党の代表に李俊錫氏…憲政史上初の30代 東亜日報 2021年6月11日
  30. “地裁、与党トップを職務停止 前代表訴え認定、大混乱に―韓国”. 時事ドットコム. (2022年8月27日). https://www.jiji.com/sp/article?k=2022082600931&g=int 2022年9月11日閲覧。
公職
先代
初代
大韓民国の旗 特任長官
2009年9月30日 - 2010年8月30日
次代
李在伍
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