朱友文
生涯
もとの姓は康で、名は勤。その才能を朱全忠に認められて、仮子とされた。後に博王に封じられる。908年には、東京留守に任じられる。
912年、妻の王氏が美貌で、朱全忠の寵愛も深く彼女と関係を持っていたため、その後継者としての有力視されていたが、これを不満に思った朱全忠の実子の郢王朱友珪が朱全忠を殺害した。やがて、朱友文も難に巻き込まれ妻子共々に殺害され、朱全忠殺害の冤罪を着せられ、庶人に陥された。
朱友貞が末帝として即位すると、改めて官爵を復された。
史料
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