本郷城

本郷城(ほんごうじょう)は、美濃國枝氏が15世紀後半以降美濃国池田郡本郷(現在の岐阜県揖斐郡池田町)に築いていた城。

國枝氏

美濃國枝氏の系統については諸説あり判然としないが、守護土岐氏守護代斉藤氏との縁故も深く文明年間には相当の実力を蓄えていたようであり、明応4年(1495年)6月に小守護代石丸利光土岐成頼の子・元頼を擁立して、船田合戦を起こすと國枝為助が石丸方の副将として一軍を率いている。

しかし中野の戦いで敗北、為助ら國枝一族は全員討死にを遂げ、最終的に石丸方も敗北したため一時没落した。その後勢力を回復して戦国末期まで有力土豪として本郷城にてその地位を保った。

関ヶ原の戦い

慶長5年(1600年)8月、本郷城主であった国枝政森関ヶ原の戦い織田秀信に属して西軍にくみし敗れて城を焼き払われる。 これによって領主としての美濃國枝氏は滅亡したが、明治維新以降も國枝氏は美濃池田郡本郷に残る。

脚注

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