本人訴訟
各国における本人訴訟
アメリカ
アメリカでは連邦法で当事者自らが訴訟を遂行することを権利として認めている[1]。
しかし、訴訟法が論争主義または当事者対抗主義と訳されるアドバーサリ・システムと呼ばれる構造を採用しているため、弁護士なしでは的確な訴訟遂行は一層困難である。それにもかかわらず、法律扶助予算の枯渇や適切なプロボノ弁護士への依頼困難などの事情が重なって本人訴訟の件数が増加しており、裁判所の処理速度が低下して訴訟手続が停滞し、問題となっている[2]。
ドイツ・オーストリア
弁護士強制主義が採用されており、弁護士でなければ裁判所における訴訟手続に関与できない[3]。したがって本人訴訟は不可である。
日本における本人訴訟
概要
日本の民事訴訟法は、弁護士強制主義を採用しておらず、本人訴訟が認められている。その背景にあるのは弁護士数の絶対的不足と偏在であり、弁護士会が対策を講じているにもかかわらず2017年時点でも弁護士不足の抜本的解決には至っていない[3]。
昭和62年度司法統計によれば、実質的審理が行われた訴訟のうち約25%において、当事者の双方または一方が本人訴訟であった[4]。
2014年の調査では、原告本人率は7.3%、被告本人率は19.4%であった[5]。
全体的特徴
寺尾洋 1990によれば、日本における本人訴訟の特徴として以下のようなことが挙げられる。
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本人の属性
長谷川貴陽史 2021によれば、本人訴訟の当事者の属性には以下のような特徴がみられた。
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本人訴訟に関与する主体の認識
本人訴訟においては、本人の側からは、「言いたいことを言わせて欲しいのに、裁判官に遮られてよく分からないうちに終わる」「相手に弁護士がつくと、法廷で相手方弁護士と裁判官との間でわけが分からない間に話が進んでいく」等、疎外感を感じる旨の不満が述べられることが多い。他方、法律家の側では、「事件の筋が掴みにくい」「手間がかかる」との感想が持たれる。これは、法律家側が効率的・法的に事件処理を進めたいのに対し、本人は言いたいことを言わせてほしいという、相容れない要求が対立しているからであるとみられる。この状況は、紛争のプロセスにおける当事者の心理的構えのあり方に影響を受けるものと考えられるため、本人側において紛争の解決へ向けて活動するということを主体的に認識し、法律家による発言遮断も議論の整理のためのものであることを理解するなど、主体的に法廷での対話の活性化へ向けて取り組むことで、本人側にとっても望ましい審理が実現できると考えられる[6]。
脚注
- 山城崇夫 2017, p. 35
- 山城崇夫 2017, pp. 35–37
- 渋谷秀樹 2017, p. 486
- 寺尾洋 1990, p. 8
- 長谷川貴陽史 2021, p. 1
- 和田仁孝 1991, p. 24-26
- “混合診療禁止は「適法」、原告の敗訴確定 最高裁”. 日本経済新聞. (2011年10月25日)
- ミドルトン 1996, p. 255
参考文献
法律書
- 渋谷秀樹『憲法』(第3版)有斐閣、2017年。ISBN 978-4641227231。
学術論文
- 山城崇夫「本人訴訟と法律扶助 : ~Turner v. Rogers 事件の波紋」『白鴎大学法科大学院紀要』第10巻、2017年、33-54頁、NAID 120006324879。
- 大澤恒夫「人と法を結ぶもの:弁護士の不在と非専門リソース」『法社会学』第70巻、2009年、206-219頁、NAID 130005311816。
- ミドルトン, ジョン「虚報被害者救済法の日本法的アプローチとコモンロー的アプローチ」『法学研究』第28巻、1996年、241-306頁、doi:10.15057/10037、NAID 110007623758。
- 寺尾洋「民事訴訟における審理の充実及び促進について:本人訴訟を中心として(1989年春季(第79回)大会報告概要)」『九州法学会会報』九州法学会会報 1989、1990年、7-8頁。
- 和田仁孝「少額事件•本人訴訟と裁判手続」『法社会学』第43巻、1991年、22-30, 232、doi:10.11387/jsl1951.1991.22、NAID 130003570815。
- 長谷川貴陽史「本人訴訟の分析」(pdf)『超高齢社会における紛争経験と司法政策プロジェクト』、東京大学社会科学研究所、2021年。