末永正雄

末永 正雄(すえなが まさお、1978年2月13日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のドリフトドライバー。D1グランプリに参戦する。同じくドリフトドライバーの末永直登は実兄。血液型はO型。2010年に結婚している。

略歴

中学2年生の時からミニバイクレースに参戦し、高校2年生の時に鹿児島チャンピオンを獲得[1]。その後モトチャンプ杯の九州大会に参戦し、SR50クラスでチャンピオンになり、全国大会に出場。20歳の時に北九州大会カートコースでの練習で転倒、鎖骨骨折し、一時ミニバイクレースを休場した。その頃に兄・末永直登の影響でドリフトを始める。最初はAE85を購入し、怪我のため片手で練習する[1]。その後AE86スカイライン(HR31)、AE86、シルエイティ、AE86、セフィーロ、AE86、シルビア(S13)、RX-7(FD3S)と乗り継いだ。ちなみに直登は正雄よりも1週間ドリフト歴が長い。2000年には第69回いかす走り屋チーム天国南九州大会に、植尾勝浩率いる「殿倶楽部」から植尾や兄の直登などと共に参戦。団体戦優勝を果たしている。

D1には2002年から参戦。当初はプライベーターであり、2003年にはS13シルビアに乗り全戦自走で全国を転戦した[1]2004年からはRE雨宮RX-7(FD3S)で参戦。

2005年からは次第に好成績を収めるようになり、第6戦富士スピードウェイで初優勝。最終戦までチャンピオン争いをするに至った。チームオーナーの雨宮勇美を始めチームからの信頼も高く、RE雨宮のドライバーとして2015年まで参戦を続けていた。

2011年にはNOSを組み込んだRX-8に乗り換え、同年のシリーズを9位で終えた。翌2012年、さらに2013年もRX-8で参戦し、それぞれシリーズランキング総合9位、総合11位であった。

2014年はマシンを3ローターエンジン搭載のRX-7(FD3S)に変更し、単走でシリーズチャンピオンに、総合でもシリーズ2位に輝いた。翌2015年も引き続きRX-7に騎乗した。

2016年は、本業である新聞印刷業の都合もあり、プライベーターとして2JZ-GTE搭載のS15シルビアでスポット参戦した。

2017年2018年TRUSTより、川畑真人と共にR35型GT-Rで参戦。それぞれシリーズを総合11位と4位で終えた。

2019年は再びプライベーターとして2016年と同じS15型シルビアで第5戦エビスから参戦[2]

2020年からはD-maxに所属し、チームメイトの横井昌志と共に、2019年に横井がチャンピオンを獲得した際のマシン[3]であるS15シルビアで参戦。タイヤはナンカンを使用する。2020年は総合13位にとどまったものの、2021年は第8戦奥伊吹で準優勝するなど活躍しシリーズ4位となった。

2022年も前年と同じ体制・マシンでD1GPに参戦。第2戦奥伊吹では3位、第8・9戦のエビスでは2連勝を果たし、前年と同じシリーズ4位でシーズンを終えた。

エピソード

  • 2005年の第2戦お台場の追走で末永直登とのD1史上初の兄弟対決が実現し、この時は正雄が勝利。直近では2021年第8戦の奥伊吹モーターパーク[4]でも兄弟対決があり、2021年シリーズ終了時点の勝敗は正雄5勝、直登4勝となっている。
  • D1選手のなかでは少数派である自動車関係以外の仕事が本業であり、南日本新聞に勤務している。2015年の時点では、新聞印刷機のオペレーターとして働いていた[5]。海外参戦に消極的な理由に「あまり休暇を取りすぎると解雇されるから」としている。
  • 愛車は、白のマツダ・RX-7(FD3S)のエアコン・内装を取り外し、RE雨宮のフルエアロを装着した仕様。この車で2006年のD1ストリートリーガルに参戦、シリーズランキング2位になっている[6]。また黒のRX-7(FD3S)も所有しており、こちらはエアコン付き仕様のほぼノーマル車で、自分で初めてエンジンをオーバーホールしたらしく愛着があるとのこと。また、前述のS15シルビアも所有している[6]

脚注

外部リンク

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