木場城
歴史
集落としての木場は永禄4年(1561年)に信州からの入植者により開墾されたと伝わる。
上杉家家臣であった三条城主の山吉豊守の死去に伴い、弟の山吉景長が山吉家の家督を継いだが、上杉家の規約などの問題により三条から木場に領地替えとなり、天正8年(1580年)に築城開始、翌年に完成したとされる。
完成年に勃発した新発田重家の乱において、新発田側が物流の拠点として確保した信濃川河口地域を守る新潟城・沼垂城と対峙する最前線基地として機能。新発田側の城は河口地帯の湿地帯及び砂地だったために攻略は難しかったが、木場城も付近に中ノ口川や多くの沼が天然の防御帯となっていたために新発田勢も攻略に苦慮した。最終的には新発田勢を討ち、信濃川河口の利権を景勝勢が確保した事が新発田氏滅亡への足がかりとなった。
その後も上杉氏臣下の山吉氏の居城として信濃川河口の新潟や沼垂の監視・管理を行う番城の役割を果たすも、上杉家の会津移封により廃城となった。
その後、堀氏が越後に入封し新潟港の本格改修した際には城跡に館を置いた。
現在は遺構は無くなっており、木場八幡宮が祀られている。木場八幡宮を含む跡地全体を『宮のもり・木場城公園』として整備し、城を模した木製の遊具などが置かれ、子どもたちの人気スポットの一つとなっている。
関連項目
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