木ノ芽峠
木ノ芽峠(きのめとうげ)は、福井県の嶺北と嶺南を隔てる峠である[1][2][3]。木嶺(もくれい)とも言い、「嶺北」「嶺南」の語源となっている。
木ノ芽峠 | |
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所在地 | 福井県南条郡南越前町・敦賀市 |
座標 | 北緯35度43分1秒 東経136度8分26秒 |
標高 | 628 m |
通過路 |
国道476号(木ノ芽峠トンネル) 北陸自動車道(敦賀トンネル) 北陸本線(北陸トンネル) |
木ノ芽峠 (福井県) 木ノ芽峠 (日本) | |
プロジェクト 地形 |
木ノ目峠、木辺峠、あるいは木部山とも表記される(福井県の峠一覧も参照)。
歴史
国造が分立した時代および律令時代初期より現在の敦賀市(角鹿国造の南部)が越前国の港湾都市として開発されて、海運や商業の地として栄えた。そのため越前国と若狭国との境界である関峠(せきとうげ)には関所が置かれたが、木ノ芽峠には一時期を除き番所関所は置かれていない。峠の南北両側は越前国(角鹿国造)の領地であるが、嶺北地方の日野川、九頭竜川水系と嶺南地方の木ノ芽川、笙の川水系の分水嶺でもある。またこの場所を境に風向き、天候が大きく変わること等が峠の由来であるとされている。
『日本紀略』によれば、官道の北陸道の一部として天長7年(830年)に道が開かれた[4]。しかし、道の険しさや冬の厳しい気候のために難所の一つであった[5]。このため、中世には、北陸道(北国街道)は東の栃ノ木峠(現在の国道365号)のルートに移動した。
交通
北陸本線は険しい木ノ芽峠を避けて海側の山中峠を越える杉津を経由するルートで建設されたが、1962年に木ノ芽峠直下に北陸トンネルが開通した[1][3][4]。また、木ノ芽峠直下には北陸新幹線の越前たけふ駅 - 敦賀駅間に新北陸トンネルが新設される予定である[2]。
道路では、北陸道を継承する国道18号は引き続き栃ノ木峠を経由していたが、1886年に金ヶ崎隧道・春日野隧道が貫通し[4]、1920年には両隧道を通る海沿いの道が北陸道・国道18号を継承する国道12号(現在の国道8号)の一部に指定された。
1977年、北陸自動車道の敦賀トンネルが木ノ芽峠の直下に作られた。一般道路では長らく登山道しかない状態であったが、1993年に木ノ芽峠を通る道路が国道476号に指定され、2004年に直下を通る木ノ芽峠トンネルが完成して自動車が通行できるようになった[4][6]。
脚注
- “福井の70回大会史 「嶺南野球」に負けじ、福井商が台頭”. 朝日新聞デジタル. (2018年6月21日) 2021年10月2日閲覧。
- “高さは地上7階分、北陸新幹線の巨大高架新駅”. 東洋経済オンライン (2019年8月26日). 2021年10月2日閲覧。
- “南越前の今庄宿が「重伝建」に選定 新たな「誇り」住民喜び”. 中日新聞Web. (2021年5月23日). オリジナルの2021年5月22日時点におけるアーカイブ。 2021年10月2日閲覧。
- “南越前町勢要覧 歴史” (PDF). 南越前町. pp. 27-29 (2015年3月). 2021年10月2日閲覧。
- 一例として、建武4年(1337年)1月に新田義貞軍が比叡山から越前に下る木ノ芽峠越えで多数の凍死者を出す事件が起こっている。参考・峰岸純夫 『中世 災害・戦乱の社会史』 吉川弘文館 2011年 p.27.
- “南越前町勢要覧 交通” (PDF). 南越前町. p. 30 (2015年3月). 2021年10月2日閲覧。
外部リンク
- 歴史浪漫街道(木ノ芽峠) - 敦賀観光協会