朝倉昇
経歴
山口県玖珂郡新庄村(柳井市)出身[2][3]。宮本鶴松の二男として生まれ山口県朝倉林助の養子となった[1]。石川県立七尾中学校を経て、1914年(大正3年)に上田蚕糸専門学校養蚕科を卒業[2]。長野県吏員、山口県養蚕取締吏員、富山県立農学校教諭、岐阜県安八農学校教諭を務めた[2]。1924年(大正13年)、高等試験行政科に合格し、翌年に京都帝国大学経済学部を卒業した[2]。朝鮮総督府に入り、慶尚北道保安課長、京畿道保安課長、警務局事務官、慶尚南道産業課長、平安北道財務部長を経て、1934年(昭和9年)に鎮南浦尹に就任した[4]。
著書
- 『米価対策 米の売り時』(明文堂、1932年)
- 『米をめぐる問題』(明文堂、1934年)
- 『総選挙の実践』(朝倉経済研究所、1937年)
- 『朝鮮工業経済読本』(朝倉経済研究所、1937年)
- 『液体燃料問題の検討』(朝倉経済研究所、1937年)
- 『農業の北支那』(朝倉経済研究所、1939年)
- 『戦時経済動員大綱』(朝倉経済研究所、1942年)
- 『日本経済の分析と政策』(朝倉経済研究所、1958年)
脚注
- 大衆人事録 1937.
- 輓近大日本拓殖史 1934.
- 『大衆人事録』では石川県出身。
- 朝鮮人事興信録 1935, p. 8.
- 石川県議会史編さん委員会 1968, 555頁.
参考文献
- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 『朝鮮人事興信録』朝鮮人事興信録編纂部、1935年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 石川県議会史編さん委員会 編『石川県議会史 第2巻』石川県議会事務局、1968年 。
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