春雨庵
歴史
京都・大徳寺の僧、沢庵宗彭が紫衣事件で上山に配流された時に、上山城主土岐頼行が仮住まいとして寄進した建物である[1]。沢庵宗彭がこの庵に「春雨庵」と名付け、3年間過ごした[2]。
1953年に復元された[1]。土岐家の江戸屋敷にあった石燈籠が敷地の改修の為に上山市に寄贈され、その内の1つが園内に移築されている[3]。
2018年、大阪府北部地震でブロック塀が倒壊し女児が死亡した事故を受け、上山市が安全点検を行った結果、春雨庵の南東側ブロック塀が基準に適合していないことが判明した[4]。
所在地
山形県上山市松山2-10-12
脚注
- “春雨庵(上山市)”. 最上川電子大辞典. 2018年8月3日閲覧。
- “春雨庵:やまがたへの旅”. 山形県観光物産協会. 2018年8月3日閲覧。
- “春雨庵(上山市)”. 2018年8月3日閲覧。
- “「春雨庵」の塀撤去へ 上山市、基準不適合”. 山形新聞 (2018年7月5日). 2018年8月3日閲覧。
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