旭堂左南陵

旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう)は、上方講談。幕末からある名前。当代は特に代数は振っていない。


旭堂きょくどう 左南陵さなんりょう
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「覗き梅鉢」は旭堂一門の定紋である。
本名 久保 康利
生年月日 1949年
出身地 日本の旗 日本大分県佐伯市
師匠 岡本梅寿軒
三代目旭堂南陵
六代目一龍斎貞水
弟子 旭堂左燕
名跡 1.旭堂南京(1972年 - ?)
2.旭堂南鏡(? - 1980年)
3.旭堂きょくどう左南陵ひだりなんりょう(1980年 - 2007年)
4.旭堂きょくどう左南陵さなんりょう(2007年 - )
活動期間 1972年 -
所属 なみはや講談協会
備考
なみはや講談協会会友

旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう 1949年 - )は、大分県南海部郡(現・佐伯市)出身の講談師。本名、久保 康利。なみはや講談協会会友。

経歴

大分県立佐伯鶴城高等学校卒業後、東京でサラリーマンを1年間勤める。(西濃運輸に勤務)その後大阪で浪曲岡本梅寿軒の門下になる。後音楽ショウあひる艦隊」に岡本浩の名で参加し1969年に初舞台。1972年3代目旭堂南陵の門下で南京から南鏡と改名。一時東京の6代目一龍斎貞水の預かり弟子で講談組合に所属。1980年夏に真打昇進し「左南陵ひだりなんりょう」を襲名。1996年名古屋に移住した後、大須演芸場を拠点として活動を開始。2007年に読みを「さなんりょう」と改名。現在は名古屋中心に大阪でも口演している。2023年より名古屋市のカルチャースクールで講談講座を開講。

弟子

  • 旭堂左燕(2023年5月入門、三重県出身)[1]

持ちネタ

赤穂義士伝、他 「南部坂、雪の別れ」「安兵衛婿入り」「高田馬場駆け付け」

「俵星玄蕃」「梶川与惣兵衛、屏風回し」

太閤記

「本能寺の夜討ち」「高松陣払い(姫路の出陣)」「電撃桶狭間(信長の出陣)」

難波戦記

「真田幸村、大阪入城」「二条城の対面」

源平盛衰記

「宇治川の先陣争い」「那須与一、扇の的」

四谷怪談

「お岩様誕生」

寛政力士伝

「雷電の初土俵」

「酒井の太鼓(三方ヶ原軍記)」「勧進帳」「安倍の水馬(隅田川、誉の乗切り」

「伊達政宗、堪忍袋」「八丈島物語」「清正毒饅頭」

脚注

注釈

    出典

    1. 登龍亭獅鉃 (2023年5月28日). 郡上ミニ落語会 ご来場ありがとうございます”. twitter. 2023年6月12日閲覧。

    参考文献

    • 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)

    外部リンク

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