早雲寺

北緯35度13分48.3秒 東経139度6分13.2秒

早雲寺
本堂(箱根町指定文化財)
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町湯本405
位置 北緯35度13分48.3秒 東経139度6分13.2秒
山号 金湯山[1]
宗旨 臨済宗[1]
宗派 臨済宗大徳寺派
本尊 釈迦如来(坐像)、文殊菩薩普賢菩薩の三尊
創建年 大永元年(1521年[1]
開山 以天宗清[1]
開基 北条氏綱
文化財 絹本淡彩北条早雲像
法人番号 5021005006042
早雲寺の位置(神奈川県内)
早雲寺

早雲寺(そううんじ)は、神奈川県足柄下郡箱根町湯本にある、臨済宗大徳寺派寺院山号金湯山。本尊は釈迦如来。寺内には後北条氏5代の墓[注釈 1]連歌師宗祇の碑がある。国の重要文化財の織物張文台及硯箱、北条早雲肖像画、県指定文化財の北条氏綱・氏康らの肖像画がある。

歴史

大永元年(1521年)、北条早雲(伊勢盛時)の遺言でその子北条氏綱が京都大徳寺第83世以天宗清を招き創建されたと伝えられている。

だが、大徳寺側の記録では大永元年当時の以天宗清は同寺にいたとされているため、創建年次に関する2つの異説が唱えられている。岩崎宗純は宗清が韮山の香山寺にいた永正年間にまだ健在であった早雲の依頼で湯本に「早雲庵」と呼ぶべき前身寺院を建立したのが事実上の創建で、早雲の死後に菩提寺に改めたとする説を唱えている[2]。これに対して黒田基樹は早雲寺の創建が大永元年とする寺伝そのものが江戸時代以前に存在しない(つまり江戸時代の創作である)とする立場から、早雲寺に湯本の門前町が寄進された年代不明の氏綱発給文書がその花押形が享禄4年(1531年)以降のものであることを指摘して、早雲寺の創建を門前町の寄進の前後である享禄・天文年間であったとする説を唱えている[3]

天正18年(1590年)、小田原征伐において一時的に豊臣秀吉軍の本営が置かれるが、石垣山城が完成すると当寺を含む一帯は焼き払われた。その後は北条氏の庇護を失って荒廃したが、焼失後の寛永4年(1627年)、僧・菊径宗存により再建。慶安元年(1648年)、3代将軍徳川家光から朱印状を与えられ復興した。

境内

文化財

重要文化財

  • 絹本淡彩北条早雲像
  • 織物張文台及硯箱(伝北条氏政所用)(東京国立博物館に寄託)

県指定文化財

北条氏康像
  • 絹本著色北条氏康画像 - 指定年月日: 1967年(昭和42年)2月3日[4]
    室町期の肖像画。画面寸法は縦92.1センチメートル、横61.2センチメートル。中央には上畳に座した北条氏康の姿が描かれている。折烏帽子、白地に鶴亀模様の直垂姿で、腰には腰刀(こしがたな)、右手に金地に萩花の中啓を持った姿で描かれており、没後まもなく製作されたものと考えられている。
  • 紙本著色北條氏綱像 - 指定年月日: 1967年(昭和42年)2月3日[4]
    桃山時代の肖像画[4]
  • 紙本墨画羅漢図 - 指定年月日: 1967年(昭和42年)2月3日[4]
  • 紙本墨画早雲寺本堂襖絵 - 指定年月日: 1967年(昭和42年)2月3日[4]
  • 紙本著色枇杷小禽図 - 指定年月日: 1967年(昭和42年)2月3日[4]
  • 紙本墨画淡彩機婦図 - 指定年月日: 1984年(昭和59年)11月22日[4]
  • 梵鐘 - 指定年月日: 1969年(昭和44年)12月2日[5]

町指定文化財

  • 本堂
  • 惣門
  • 鐘楼

脚注

注釈

  1. 早雲寺境内にある北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の墓所は、江戸時代の寛文12年(1672年)に、北条氏規の子孫で狭山藩北条家5代目当主の北条氏治が、北条早雲命日の8月15日に建立した供養塔。氏綱墓所は、かつての広大な旧早雲寺境内の春松院に、氏康墓所は大聖院に葬られたが、豊臣秀吉の軍勢に焼かれたため、その位置は不明となっている。

出典

  1. 新編相模国風土記稿 湯本村 早雲寺.
  2. 岩崎宗純「後北条氏と宗教―大徳寺関東竜泉派の成立とその展開―」(佐脇栄智 編『後北条氏の研究<戦国大名論集 8>』(吉川弘文館、1983年))
  3. 黒田基樹「北条氏綱論」(黒田基樹 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第二一巻 北条氏綱』(戎光祥出版、2016年)ISBN 978-4-86403-200-1)
  4. 神奈川県文化財目録 種別順(令和4年5月1日現在) (PDF). 神奈川県教育委員会教育局生涯学習部文化遺産課. p. 18 (2022年10月). 2023年1月2日閲覧。
  5. 神奈川県文化財目録 種別順(令和4年5月1日現在) (PDF). 神奈川県教育委員会教育局生涯学習部文化遺産課. p. 44 (2022年10月). 2023年1月2日閲覧。

参考文献

外部リンク

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