旧波門崎燈籠堂
旧波門崎燈籠堂(きゅうはとさきとうろうどう)は、兵庫県明石市の明石港にある旧灯台。藩政時代からある明石港のランドマークである。1963年(昭和38年)に航路標識としての機能は廃止になったが、2014年(平成26年)に国の登録有形文化財に登録[1]された。その後、2021年1月25日付けで明石市指定文化財に変更された[2]。
旧波門崎燈籠堂 | |
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位置 | 北緯34度38分31.9秒 東経134度59分24.3秒 |
所在地 | 兵庫県明石市港町2-8 |
塗色・構造 | 石造 |
初点灯 | 1657年(明暦3年) |
概要
旧波門崎燈籠堂(通称 明石港旧灯台)は石造の灯台で、1657年に当時の明石藩主 松平忠国によって作られたと伝えられている。 古代明石港は明石川河口にあったと推測されている[3]が、1621年 当時の明石藩主 小笠原忠真によって城造り、町造りの一環として砂浜に掘り込みを行い新たに明石港が作られた。1640年代に描かれた城絵図にはトウロと記された灯籠が描かれている。その後遠方から灯火を見られるように櫓を高く構えるようになり、1657年に現在の石造りの灯籠堂となった。この旧灯台は現存する日本の旧灯台のうち、設置年代は2番目に古く、石造では最古である[4]。2014年4月25日に国の登録有形文化財に登録[5]されていたが、2021年1月25日付けで明石市指定文化財に変更された。老朽化に伴い保存方法を検討、2022年から復元工事を開始、2023年10月灯籠部分は明治時代の写真[6]を元に木製の姿に復元[7]された。
- 復元工事前の旧波門崎燈籠堂
- 旧波門崎燈籠堂
- 旧波門崎燈籠堂と新灯台
- 明石港を出港するまりーんふらわあ2と旧波門崎燈籠堂
歴史
- 1622年(元和8年)[3] - 明石藩主 小笠原忠真によって城造り、町造りの一環として砂浜に掘り込みを行い明石港が作られた。
- 1639年から1649年頃 - この頃に描かれた城絵図に既にトウロと記した灯籠が描かれている。
- 1657年(明暦3年)- 明石藩主 松平忠国によって現在の形の石造灯台が作られた[1]。
- 1873年(明治6年)- 光源にガスを使用。
- 1883年(明治16年)- 白ペンキ塗りに改修。
- 1932年(昭和7年)- 逓信省所管となる。
- 1951年(昭和26年)- 所有権が国に移管。
- 1953年(昭和28年)- 上部の笠部分を木製からコンクリートに変更、燈籠部を囲い光源を電気照明器具に変更する改修が行われた。
- 1963年(昭和38年)- 明石港の拡張で沖合に新灯台が設置されたため、航路標識としては機能廃止となり光源を撤去。
- 1999年(平成11年)- 海上保安庁から明石市に譲渡。
- 2014年(平成26年)4月25日 - 国の登録有形文化財に登録[1]
- 2021年(令和3年)1月25日 - 明石市指定文化財に登録[2]
- 2022年(令和4年)10月18日 - 老巧化に伴う復元工事完了。明治時代の写真資料[6]をもとに燈籠部が木製に復元[7]された。
脚注
- “明石市の指定文化財(国・県・市)《平成27年度》”. 明石市. 2017年2月19日閲覧。
- 「旧波門崎燈籠堂(石積)」を明石市指定文化財に指定明石市2021年11月6日閲覧。
- 橘川 真一. “港別港文化アーカイブス、明石港の「みなと文化」”. みなと文化研究事業. 2017年2月21日閲覧。
- “明石港旧灯台”. 公益社団法人ひょうごツーリズム協会. 2015年6月12日閲覧。
- 旧波門崎燈籠堂 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- “日本最古の石造り灯台 宮内庁蔵書に113年前の姿、復元へ”. 神戸新聞. 2022年12月11日閲覧。
- “旧波門崎灯籠堂の復元整備が完成”. 明石市. 2022年12月11日閲覧。
外部リンク
- “みなと総合研究財団”. 2015年5月30日閲覧。
- “みなと文化研究事業”. みなと総合研究財団. 2015年5月30日閲覧。
- “近世以前の土木・産業遺産”. 岡山大学大学院教授・馬場俊介. 2015年6月19日閲覧。
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