旧住友家俣野別邸
旧住友家俣野別邸(きゅうすみともけまたのべってい)とは、1939年に住友財閥の創業者一族である住友家が建築させた和洋折衷の住宅である。
旧住友家俣野別邸 | |
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情報 | |
設計者 | 佐藤秀三 |
施工 | 佐藤秀三建築工務所(現・株式会社佐藤秀) |
建築主 | 第16代住友吉左衞門 |
構造形式 | 木造 |
敷地面積 | 53,772.02 m² |
建築面積 | 450 m² |
延床面積 | 669.21 m² |
階数 | 地上2階建(一部平屋建て) |
竣工 | 1939年11月 |
所在地 | 神奈川県横浜市戸塚区東俣野町80-1 |
座標 | 北緯35度21分37.1秒 東経139度29分32.3秒 |
概要
旧住友家俣野別邸は、1939年(昭和14年)に当時の住友家当主であった16代住友吉左衞門が発注した住宅で、住友家の東京本宅の別邸として現在の神奈川県横浜市戸塚区東俣野町の丘陵地に建築された。設計者は佐藤秀三であった。
基本的には当時の大財閥一家が生活するために、使用人の居住区も備えた大規模な西洋風建築であるが、設計に際し北欧の伝統的な建築様式である柱や梁を露出させる様式を基本としながらも、屋根に日本瓦をのせるなどの伝統的な和風様式も取り入れている。建物はY字形で、昭和時代初期に流行したモダニズムの影響を受けており、和洋と現代建築が融合し折衷した建築物であった。
1998年ごろまでは住友家に縁の者が生活していたが、2000年に相続税として国に物納され、政府に所有権が移った。2004年7月に国の重要文化財に指定され、保存と一般公開に向けて2008年1月から修復工事が進められていたが、2009年3月15日に焼失した[1][2][3]。これに伴い、2011年に重要文化財指定は解除されたが、2016年に横浜市が公園施設として再建し、2017年2月10日には横浜市認定歴史的建造物となった[4][5]。現在は俣野別邸庭園の一部として公開されている。
参考
- 「国重文の「旧住友家俣野別邸」全焼 横浜」『asahi.com』朝日新聞社、2009年3月15日。2020年4月29日閲覧。オリジナルの2009年3月16日時点におけるアーカイブ。
- 「国の重文・旧住友家別邸が全焼…横浜」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2009年3月15日。2020年4月29日閲覧。オリジナルの2009年3月16日時点におけるアーカイブ。
- 「火災:国重文の「旧住友家俣野別邸」が全焼 横浜」『毎日.jp』毎日新聞社、2009年3月15日。2020年4月29日閲覧。オリジナルの2009年3月17日時点におけるアーカイブ。
- “俣野別邸庭園公式サイト”. 2020年3月20日閲覧。
- 俣野別邸[再建]|建築作品集.
関連項目
外部リンク
- “俣野別邸庭園”. 公益財団法人横浜市緑の協会. 2020年4月30日閲覧。 公園指定管理者によるサイト
- “佐藤秀三 設計施工の『旧住友家俣野別邸』が国の重要文化財に指定”. 株式会社佐藤秀. 2020年5月17日閲覧。 施工業者によるニュースレリース
- “俣野別邸[再建]|建築作品集”. 株式会社佐藤秀. 2020年4月30日閲覧。
- “俣野別邸(再建)”. 横浜市建築局公共建築部営繕企画課. 2020年4月30日閲覧。
- “火事で焼失した戸塚の重要文化財、住友家俣野(またの)別邸、その後はどうなった?”. はまれぽ.com. 2020年4月30日閲覧。
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