新劇
新劇(しんげき)は、ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す日本の演劇を指す。旧劇(歌舞伎を指す)、新派(書生芝居の流れ)に対する言葉。当初翻訳劇を中心に始まり、歌舞伎や新派の商業主義を批判し、芸術志向的な演劇を目指した。
解説
新劇の起こりは明治時代末期、坪内逍遥の文芸協会と離脱した島村抱月と松井須磨子の芸術座、また小山内薫・市川左團次 (2代目)の自由劇場などの活動に求められる。新劇運動が確立したのは、関東大震災後に作られた劇団築地小劇場の活動による。これは小山内、土方与志が開設したものである。やがて佐々木孝丸らによるプロレタリア演劇運動が盛んになり、小山内の死後に築地小劇場も分裂。のちに国家の弾圧を受け、佐々木は投獄された。
築地小劇場に続く劇団として文学座(1937年結成)や俳優座(1944年結成)があった。 1945年12月26日、第二次世界大戦後、初の公演は全新劇人を集めた合同公演で『桜の園』(毎日新聞社主催)が有楽座で演じられた[1]。 その後は、文学座、俳優座も復活。劇団民藝(1950年結成)も創設された。更にその前に、劇団新派(大阪で1888年結成)や関西芸術座(大阪で1957年結成)など劇団の創設が相次いだ。その他、劇団青年座、演劇集団円、劇団昴、劇団四季などが主な新劇団体として知られる。
1970年前後の「アングラ演劇」ブーム、1980年前後の「小劇場」ブーム等を経た後は、「新劇」という呼び名は相対的に古典的な演劇活動を著す表現となっている。
丸谷才一と渡辺保は2007年1月の対談の中で新劇史を概観し、築地小劇場以来の新劇が終焉を迎えたとする見解を示している。
丸谷 昭和思想史というものは最後までとにかくイデオロギー優先なんですよね。それが新劇に非常によく出ているわけですよ。僕が言いたいのは昭和思想史のもっと濃縮したものが日本新劇史だっていう、そういう感じなんですね。(中略)渡辺 なるほど、日本思想史の凝縮した形で日本の新劇史があるとすれば、右と左の激突の中で、つまりイデオロギー反対派の福田恆存が最後にはイニシアティブを取った。で、あれが文学座分裂の真相だろうと、こういうことですね。面白いですね。新劇が日本思想史の一端を担っているのではなくて最も凝縮した形だと。
丸谷 僕はそうだと思いますよ。
渡辺 じゃ、やっぱり滅びるべくして滅びたんだ。 — 丸谷才一、渡辺保『ハムレット役者』解説的対談[2]
脚注
- 戦後初の新劇「桜の園」を公演(昭和20年12月26日毎日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p8 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- 芥川比呂志 ハムレット役者、丸谷才一編、講談社文芸文庫、2007年1月、pp.314-334。