手稲山口バッタ塚
概要
北海道開拓使時代に、十勝地方でバッタが大発生し、各地で蝗害をもたらしていた。バッタは札幌にも飛来し、その後毎年のように大発生し農作物は食べ尽されていった。人々はバッタを減らすために、幼虫を追い込んで穴に埋めたり、鋤でつぶしたり、野焼きをするなどした。雨が降れば卵が溺れ死ぬという事で、雨乞いのために大砲まで撃ったとも言われている。その後、明治政府は被災者の救済も兼ねて市中から卵を買い集め、砂地だったこの地に埋めて、バッタを減らそうとした。蝗害の根絶を願ってそこに建てられたものがバッタ塚である。
バッタの死骸や卵塊を集めて埋めたとされる場所は、畝のように盛り上がった草地になっており、木の柵で囲われ、石碑と説明看板が設けられている[1]。
バッタ塚は十勝地方などにも多く見られ、札幌市内にもいくつか存在したが、同市内において現存するものは手稲山口バッタ塚のみである。札幌市が指定する唯一の史跡となっている[1]。
沿革
その他
- 現在、塚を含む付近の開発が行われており、将来は山口緑地として手稲区の新しい観光地として利用される予定である。
所在地
- 北海道札幌市手稲区手稲山口324-308
脚注・出典
注釈
出典
- “バッタ大群襲来、明治期の被害伝える 札幌・手稲山口に「バッタ塚」 地域史研究者「先人の苦労に注目を」”. 北海道新聞(2020年9月29日 札幌圏版). どうしん電子版 (北海道新聞社). (2020年9月28日). オリジナルの2020年9月29日時点におけるアーカイブ。 2020年9月30日閲覧。
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