怒りの日

怒りの日(いかりのひ、ディエス・イレDies irae)は、終末思想の一つ。キリスト教終末論において世界の終末、キリストが過去を含めたすべての人間を地上に復活させ、その生前の行いを審判し、の主催する天国に住まわせ、永遠の命を授けられる者と地獄で永劫の責め苦を加えられる者に選別するとの教義思想。または、それが行われる日。その様子については、新約最後の書、幻視ヨハネによる『ヨハネの黙示録』(アポカリプス)に詳述されている。また、マタイによる福音書25章、第二テサロニケ1章、旧約のイザヤ63章にも記されている。ただし、ミサで用いられるラテン語の詞はトンマーゾ・ダ・チェラーノの作詞と考えられ、聖書から直接とられた聖句ではない。

ハンス・メムリンク作の祭壇画(中央部のみ) 最後の審判 (ハンス・メムリンク)(1467年 - 1471年)

典礼

現在、レクイエムミサセクエンツィアでは用いられるが、ローマ・ミサ典礼書1970年)では使われない。

「怒りの日」には、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトジュゼッペ・ヴェルディなどの有名な曲があり、その重要な役割はよく知られているが、第二バチカン公会議以降は通常のミサでは使われなくなった。ただし、レクイエムやアドベント聖歌では現在も使われる。また、ラテン語を典礼に使う伝統カトリックはこれを用いている。

歌詞

  ラテン語(原文)[1] 日本語訳[2] イエズス会によるの公式漢文翻訳(1670)[3]
01Dies iræ, dies illa
Solvet sæclum in favilla,
Teste David cum Sibylla.
怒りの日なる彼の日は、世界を灰に帰すべし、
ダヴィドとシビルとの告げし如く。
世界燬日。哀哉凶哉。
達未徳王。童女共証。
02Quantus tremor est futurus,
Quando Judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!
人々の震慴驚怖(おそれおののき)は幾何ぞや、
何事をも厳しく糺し給はむとて、
判官(さばきぬし)の来り給う時。
審判生死。下降之時。
詳詢徳慝。顫慄至哉。
03Tuba mirum spargens sonum,
Per sepulchra regionum,
Coget omnes ante thronum.
奇しきラッパの響き、奇なる箛笛(ラッパ)の響、
各地の墓に鳴り渡るや、
人々皆主の寳坐(みくら)の下に集められん。
吹号厳響。四方八極。
墓中蒼生。座前雲集。
04Mors stupebit et natura,
Cum resurget creatura,
Judicanti responsura.
死と生とは驚愕(おどろ)かん、
人類(ひとびと)のかく蘇りて、
判官(さばきぬし)に答えんとするとき。
霊復原身。答主判訊。
死也性也。不勝驚駭。
05Liber scriptus proferetur,
In quo totum continetur,
Unde mundus judicetur.
かき記るされたる書物持ち出されん、
其中(そのうち)に凡て世の審かるべき事あり。
将啓巨冊。一一詳録。
生霊善悪。各被判断。
06Judex ergo cum sedebit,
Quidquid latet apparebit:
Nil inultum remanebit.
判官(さばきぬし)の坐し給うや、
隠匿(かく)れたるもの悉く顕(あらわ)れ、
一(いつ)として報(むくい)なきものなからむ。
審判者主。威厳座位。
諸慝顕然。無一逃鑑。
07Quid sum miser tunc dicturus?
Quem patronum rogaturus,
Cum vix justus sit securus?
嗚呼、爾時(そのとき)我は如何なる不幸と謂わむ、
誰をたよりて保護者と頼まむ、
義人すら尚心安らかざれば。
孑然一人。夫復何言。
義人不穏。求誰保主。
08Rex tremendæ majestatis,
Qui salvandos salvas gratis,
Salva me, fons pietatis.
恐るべき御稜威の王、かしこき稜威(みいづ)の大王、
救わるるものを御恵(めぐみ)によりて、
救い給うが故に、御慈悲をもて我を救い給え。
皇皇巍巍。仁慈之泉。
恵然福人。伏乞救吾。
09Recordare, Jesu pie,
Quod sum causa tuæ viæ:
Ne me perdas illa die.
思い出したまえ、記憶(おぼ)え給え、
慈悲深きイエズスよ、
世に降誕(くだ)り給えるは我が為めなるを、
かの日に於ても我を亡し給わざれ。
慈主耶穌。憶念吾為。
尓路之故。末日勿亡。
10Quærens me, sedisti lassus:
Redemisti Crucem passus:
Tantus labor non sit cassus.
主は我を索(もと)めんとて疲労(つか)れて坐し給い、
十字架の苦(くるしみ)を受て贖い給えば、
かかる労苦を無益(むだ)ならざらしめ給え。
昔尓覓吾。疲倦歇息。
釘死救贖。勿辜尓楚。
11Juste Judex ultionis,
Donum fac remissionis,
Ante diem rationis.
報(むくい)を与え給う最(いと)も正しき判官(さばきぬし)、
赦宥(ゆるし)を賜われかし、
審判(さばき)の日に先(さきだ)ちて。
至公之主。福善禍悪。
審判之先。乞賜罪赦。
12Ingemisco, tamquam reus:
Culpa rubet vultus meus:
Supplicanti parce, Deus.
我は罪人(つみびと)にて嘆き、
我過失(わがあやまち)を赤面して、祈り奉る、
嗚呼天主我を赦免(ゆる)し給え。
負罪罪人。呻呼龥天。
満面羞慚。伏祈赦吾。
13Qui Mariam absolvisti,
Et latronem exaudisti,
Mihi quoque spem dedisti.
主はマダレナの罪を赦し、
又盗賊の願(ねがい)をも聴容れ給いしにより、
我にも希望(のぞみ)を抱かしめ給えり。
昔瑪利亜。蒙尓大赦。
盗賊亦然。賜予有望。
14Preces meæ non sunt dignæ;
Sed tu bonus fac benigne,
Ne perenni cremer igne.
我祈祷(わがいのり)は聴きいれらるるに足らざれども、
主は慈悲深くましませば、
我を熄(き)えざる火に焼けざらしめ給え。
予祈匪虔。望尓垂憐。
勿令予霊。曁身永燬。
15Inter oves locum præsta.
Et ab hædis me sequestra,
Statuens in parte dextra.
主よ我を主の左側なる山羊よりはなれしめ、
右側なる羊の群に加い給え。
望尓使予。入綿羊桟。
別於山羊。置之右側。
16Confutatis maledictis,
Flammis acribus addictis,
Voca me cum benedictis.
呪われたもの、呪咀(のろ)わるる者を退け、
はげしき火刑に処(さだ)め給わんとき、
祝福(めぐ)まるる者とともに我を招き給え。
已遂禍種。永入猛火。
使予偕善。永享真福。
17Oro supplex et acclinis,
Cor contritum quasi cinis,
Gere curam mei finis.
御前(みまえ)に俯伏(ひれふ)し
灰の如く碎(くだ)かれたる心をもて
偏(ひとえ)に希(こいねが)い奉る、
嗚呼我終遠(わがおわり)を計い給え。
予身伏地。心痛悚懼。
祈尓俯憐。永日護予。
18Lacrimosa dies illa,
Qua resurget ex favilla,
Judicandus homo reus.
Huic ergo parce, Deus:
涙の日、悲嘆の日なるかな、人土より蘇りて。
犯せし罪を審(さばか)るべければ、
嗚呼天主よ之(これ)を赦し給え。
火中蒼生。将復原体。
聴主審判。凶哉彼日。
19Pie Jesu Domine,
Dona eis requiem. Amen.
慈悲深き主イエズスよ、
彼等に安楽を与え給え。アメン、
祈望天主。赦衆夙犯。
耶穌惻憫。息止安所。

旋律

The Dies Irae appears as this melody in musical notation.
The Dies Irae appears as this melody in musical notation.

グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律は、修道士セラノのトーマス(1250年没)によって選定され、レクイエムの怒りの日で歌われていた。

クラシック音楽での使用

ベルリオーズの「幻想交響曲」(1830年)の第5楽章、リストの「死の舞踏」(1849年)に引用されてから「死」をあらわすものとしてクラシック音楽の作曲家によってしばしば引用されるようになった。他に「怒りの日」の旋律を用いた音楽の例として下記のものが挙げられる。

近年の世俗使用

SNKの格闘ゲームである『餓狼伝説』シリーズでは、ヴォルフガング・クラウザーのテーマ曲としてモーツァルトレクイエムにおけるそれが使われている[4]

近年では、ベルイマンの映画『第七の封印』においてグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が、中世の壁画をもとに再現された死の行進のシーンで使われている。また映画『シャイニング』での冒頭には、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が主題に使われているベルリオーズ幻想交響曲の第5楽章が、『バトル・ロワイアル』のCM、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の予告編などではヴェルディレクイエムのそれが使われた。ブライアン・デ・パルマの『愛のメモリー』では、主人公のマイケル・コートランドがサンドラ・ポルティナーリと、サンドラの母・マリアの墓参りをする時に使われている。

ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』では、天野正道の新曲が用いられた。CDインデックスでは「歌詞・クレゴリオ聖歌 怒りの火-Dies Irae-より」と表記された。

Dies irae -Also sprach Zarathustra-』シリーズとして、「Dies irae」をこのままタイトルに使用しているアドベンチャーゲームも存在している。また、当ゲームのアニメ版でもモーツァルト・ヴェルディのレクイエムで共に使用されている。

比較宗教学の考察

同様の思想はゾロアスター教をはじめユダヤ教イスラム教などにも見られ、多神教世界観から二神教一神教世界観へ変遷していく中で唯一神の絶対正当性を保証するために考え出されたのではないかとされている。

脚注

  1. https://la.wikisource.org/wiki/The_seven_great_hymns_of_the_mediaeval_church/Dies_Ir%C3%A6/Tommaso
  2. https://w.atwiki.jp/oper/pages/2484.html
  3. https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b90061045/f349.item.r=btv1b90061045
  4. 餓狼伝説2オリジナルサウンドトラック ポニーキャニオン

関連項目

外部リンク

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