忍海人成
出自
忍海氏は「忍海角刺宮」(奈良県葛城市新庄町忍海に比定される)に居住したと言われる、飯豊青皇女の名代である忍海部を管掌した伴造氏族と推定される。『古事記』によると、忍海部氏は開化天皇の皇子、建豊波豆羅和気王(たけとよはづらわけのおおきみ)、『新撰姓氏録』では同じく開化天皇の皇子、比古由牟須美命(ひこゆすみのみこと)の後裔であるとされている。別系統の忍海氏に、東漢氏配下の漢人である忍海漢人がある。
経歴
『続日本紀』元明朝の和銅3年(710年)正月、平城遷都の直前の叙位で正六位下から従五位下に昇叙。それからしばらく記述が途絶えるが、元正朝の養老4年(720年)に従五位上に昇進し、地方官の安芸守[2]に任命されており、神亀4年(726年)正月、正五位下と昇進している。
脚注
- 『続日本紀』和銅3年正月13日条
- 『続紀』本文には「安木守」と表記されており、書写の際の簡略化であると推定される(岩波書店『続日本紀 二』80頁脚注一二
参考文献
- 『続日本紀1 (新日本古典文学大系12)』 岩波書店、1989年
- 『続日本紀2 (新日本古典文学大系13)』 岩波書店、1990年
- 宇治谷孟訳『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
- 『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編130 - 131頁、雄山閣、2015年
- 『日本古代氏族人名辞典』168頁坂本太郎・平野邦雄監修、吉川弘文館、1990年
- 竹内理三・山田英雄・平野邦雄編『日本古代人名辞典』2 - 457頁、吉川弘文館、1972年
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